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パリの記憶のKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

パリの記憶(2022年製作の映画)
4.5
["手を握っていてくれて、ありがとう"] 90点

大傑作。アリス・ウィンクール長編四作目。物語自体は監督の兄が生き延びたという、2015年に発生したバタクラン劇場襲撃事件に着想を得ている。夜のビストロで起きたテロ事件から3ヶ月が経った今でも、ミアはあの夜に何があったのか思い出せない。それでも万年筆やケーキの蝋燭などを見て、思い出せない記憶がフラッシュバックしてくる。当日の夜はヴァンサンとディナー中だったが、病院から呼び出しがあって彼は戻り、一人でビストロに来たのだった。その後は何が起こったのか?敢えて現場には近付かなかった彼女は運命に導かれるように再び現場を訪れることになり、何が起こったのかを調べていく。テロ事件に関する市民や警察の取り組みが様々に紹介されているのが興味深い。被害者の一人でもあるサラが中心となって、被害者グループが毎週月曜日の朝に現場を訪れて記憶を共有し癒やし合うミーティングが開催されていたり、フェイスブックでは当時の記憶をオンラインで共有し合ったり、兎に角"自分だけで抱え込むな"という信条が共有されている。事件当時、誕生日を祝われていたことで結果的に一番目立った客として生存者に記憶されているトマという男は、逆に全てを記憶していて、積極的に手助けしてくれる。彼はミアや他の生存者を助けることで自分の傷も癒そうとしているのだろう。集会で出会ったデリシアという少女は、喧嘩別れした両親が襲撃で亡くなってしまい、彼らがどんな最期の日を迎えたのかを独りで調べていた。彼らは"知っていること"にも"知らないこと"にも恐怖しているが、それでも不条理な事実に正面から向き合う必要がある。

印象的なのはミアやトマの身体に残った外傷が消えないのとは対照的に、現場となったビストロは従業員が総入れ替えされて営業が再開されていて、献花した花はその日のうりに清掃員がゴミとして掃除していく(このシーンはBas Devos『Violet』を思い出した)という"都市の浄化作用"の早さを垣間見る。いわゆる"身体は癒えても心は癒えてません"みたいな言説よりも早く、身体すら癒える前に都市、つまり非関係者たちからは忘れられるという無情さ。だからこそ、生存者同士で集まって傷を癒やし合う。そして、ミアの調査の中で重要な要素となる"手を握る"、及びそこから派生した"身体に触れる"という、最も単純で非武装の繋がり合いが強調される。

原題"パリ再訪"が指し示す通り、ミアは調査を通して、知らなかったパリの側面を垣間見ることになる。黒人街や低所得者向けマンションなど訪れたことすらなかっただろう。こういった彼女の調査はあまりにも順調で、少々味気ない印象は確かに受ける。しかし、それをも圧倒的に上回るのが、ヴィルジニー・エフィラの繊細な存在感である。彼女の存在によって、"人と人が細い糸で繋がっている"という、ともすれば陳腐な表現も嘘っぽい物語も、現実となって現れる。
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