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SHE SAID/シー・セッド その名を暴けのDのレビュー・感想・評価

3.8
2023年 4本目

マスゴミ死ねと毎日のように騒がれている日本。なぜ日本のマスコミはゴミなのか。その原因はマスコミが無能だからの一言では到底片付けられない。根本は、普段メディアを観たり読んだり聞いたりしている我々にある。

報道には、大まかに分けて2種類ある。ひとつめが「発表報道」。警察が事件について発表したり、政治家や芸能人有名人の記者会見を、そのまま報道すること。ふたつめが「調査報道」。発表からの引用ではなく、あるメディアが独自に調査した情報を、そのメディアが自己責任で報道すること。

この映画で描かれているのは、徹底的な調査報道である。対して、日本の大手テレビ各局や新聞各社は発表報道であることが多い。発表報道は少しでも多くの人々に情報を知ってもらう為の重要なメディアの役割であるが、各メディアが一斉に横並びで同じ情報を発信し、一斉に被害者宅や加害者が留置所から出てくるところへ押し寄せるといったマスゴミ批判の一因ともなっている。ただ、ここで付け焼き刃の知識でマスゴミ批判に夢中になったバカが「被害者やその家族の家に取材に行くのは可哀想、悪いことだ。」「実名報道は良くない。その人だけでなく周りにも迷惑をかけてしまうことになるから、悪いことだ。」とデメリットだけに目が行って騒ぎ立ててしまう。いくら発表報道に騒ぎ立てたところで、多くのメディアが同じ報道をしている為、批判は分散しメディア各社にとってはほぼノーダメである。

調査報道の場合はどうだろうか。独自の調査で自己責任でひとつのメディアが報道をするため、もし批判を浴びるようなことになれば大ダメージだ。ここに大きな落とし穴がある。この映画で、もし被害者にしつこく電話をかけて、電話に出なければ図々しく被害者宅へ訪問しなかったら、闇を暴けたのだろうか。もし実名報道をしなかったら、勇気をもらった女性達が次々と告発をはじめる世界規模のMETOO運動にまで発展したのだろうか。

マスゴミ批判を恐れた大手メディアは、調査報道よりも手っ取り早くノーリスクで数字を稼げる発表報道ばかりするようになり、権力は腐敗し続ける。日本がこんなことになってしまったのは、ジャーナリズムの重要性をまったく理解もしないままマスゴミと騒ぎ立てる我々が原因を作っているのだ。

この映画でも、傷つけられた女性達の心を救うため、これ以上傷つく女性を増やさない為に、執念深く調査を続けるふたりの記者にあらゆる批判や妨害が押し寄せる。それでも公共の利益の為に、挫けそうになりながらも報道を続ける彼女たちの美しさに心を打たれた。

性被害問題を映画で訴えるとき、凄惨な性描写(レイプされるところとか)を描くというのはよく使われる手法だが、この映画では徹底して省かれている。この演出が、他作品と比べて特異で素晴らしい効果をもたらしていた。カメラは常に、女性達の感情にフォーカスを当て続ける。この腐った男尊女卑社会で、女性は何を感じて、何を思うのか、そこだけに集中して捉え、視聴者へ訴えかける。もしレイプシーンを入れてしまえば、この映画が伝えたいメッセージとはブレたエンタメ性が加わってしまう。

取材を受ける女性ひとりひとりの演技がことごとく素晴らしく、何度も泣いてしまった。いい映画でした。
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