ジャン黒糖

SHE SAID/シー・セッド その名を暴けのジャン黒糖のレビュー・感想・評価

4.4
2017年10月5日ニューヨーク・タイムズが報じた、アメリカ映画界の超大物プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインが長年にわたって彼の会社員や女優相手に行ってきた性的虐待。
この一連の報道は、その後映画業界のみならず他業界に対しても波及し、#MeTooムーブメントへと発展していった。
本作はそんな報道が出るまでのニューヨーク・タイムズ記者たちの丁寧な取材・調査の険しい道のりを、『アイム・ユア・マン』のマリア・シュラーダー監督が真摯に描く。

【感想】
本作を自分が初めて鑑賞したのは2023年初頭。
一方、その直後から日本ではBBCが報じたジャニー喜多川やジャニーズ事務所をめぐる一連の騒動があったり、文春vsダウンタウン松本人志の騒動があったり。
ジャニーズの最初の報道のあと各局・各メディアが過熱して報道するワイドショーやネットニュースを目の当たりにしてから再度この映画を観ると、報道機関、公共メディアのモラルやファクトチェックの徹底ぶりの違いを痛感する。
勿論、死人に口なしのジャニー喜多川と存命のワインスタインの問題は報じる上での扱いが異なるという事情はあるとは思うけれど。

日本の一連の騒動は、問題そのものの対処はイチ事務所の責任や芸能界特有の慣習に閉じて糾弾しているように見えた。
(あまり自分が関心薄いかも、というのも恐らく多分にあり)

一方、ワインスタイン報道は単に彼個人の問題ではなく、業界問わない企業やアメリカという国の在り方、フェミニズムなど、皆で一緒になって考え取り組む、より広い社会の問題へと発展していった(し、トランプが再び大統領になろうという世界線も見えるいま、これは全然終わりの見えない課題でもあると感じる)。
劇中でも語られるけれど、ワインスタインのスキャンダルの本質は彼個人の問題ではなく、レイプに対する被害者側からの起訴の難しさや、法的に性加害者側を守るような仕組みが成り立ってしまっている構造そのものの問題だったからこそ、企業のコンプライアンスや更には各州や国内の法整備にまで繋がっていった。

そんな、良くなかった既定の仕組みを長年最も利用し続けてきたワインスタインの真相が、2人の記者、ジョディ・カンターとミーガン・トゥーイーによる調査・取材を通じて描かれる。
この、最初は当時の関係者らからの僅かしか得られなかった証言や、そして"書類と検証"の積み上げによる調査報道が、巨大なムーブメントを引き起こしたことを考えると、日本における芸能スキャンダルにおいて一定数のジャーナリストが「記者会見を開け!」の一辺倒になってしまっている様子は報道に携わる側のアクションとしてはやはり精彩に欠く印象を受けてしまうのは個人的に昨今のワイドショーやSNSを見ててぼんやり思うこと。


さて本作。
ワインスタイン報道は何かと、どの女優が被害を受けたのか、に注目を集めた印象もあるけれど、実態としては長年にかけて彼がいた会社の社員も含めたかなりの人数が性的虐待を受けていたのは報道された当時、ショッキングだった。
当然なかにはそれでも声を挙げれなかった人たちもいたであろうことを思うとその被害規模は報道されていた数字以上になる。


ワインスタインは一体、女性たちの何を傷付けたのか。
それが強烈に伝わるオープニングから一気に引き込まれた。

社会経験のまだ乏しい弱冠20歳の女性たちは夢をもって映画業界に入ってきた。
そんな彼女たちの純粋さに満ちた夢を、ワインスタインによる性的虐待は一夜にして打ち砕く。

彼が女性たちから夢や"声"を奪ったのは一瞬の出来事かもしれないが、被害に遭われた女性たちが心に負った傷は10年20年経とうと癒えることはなかなか出来ない。

なぜ、彼女たちの"声"は報道されるまで、暗黙の噂レベルに留まってしまっていたのか。
劇中、記者のジョディは、調査の難航ぶりについて「目の前にあるレンガの壁」と例える。
そんな"レンガの壁"を、本作では3段階の壁として三幕構成で丹念に描く。

まず最初の壁は、そもそも被害者や関係者が2人の記者に話してもらえない。
ワインスタインが設立したミラマックス社を辞めて25年経つ、当時彼の助手だった女性は、記者のミーガンに明らかに目で何かを訴えかけていても、25年経っても口外することを躊躇っている。
彼女からすれば、過去のショッキング且つセンシティブな話はそもそも触れて欲しくないと思って当然であり、ミーガンも中盤ジョディに話す通り、彼女たちに「話して」と頼むのは難しい。
全てをあけすけに暴けばそれで良し、でもない。
報道機関としてのモラルが問われる。


次なる壁は、被害者よりも加害者を守るような社会の構造そのもの。
ここで挙げられるのが、性的暴行のような事案を起訴に持ち込む困難さと、目を疑うような示談と秘密保持契約による性加害者優位な仕組み。

かつて性的虐待の訴えを受けてNY市警がおとり捜査した際の録音テープは証拠不十分として不起訴になったという。
劇中、ホテルの通路をゆっくりと映した映像と共に流れるこの音声内容を聞くと、これでも不十分と判断されることに胸糞気分悪くなる。

そして、たとえ被害者が弁護士を付けることが出来たとしても、次に待ち構えるのが示談と秘密保持契約。
被害者の弁護人は弁護料として示談金の40%を受け取れることから、起訴した際の長期にわたる裁判に対する労力とたとえ慰謝料を取れたとしても残る慰謝料を示談と天秤にかけたら比べようもないほど示談は弁護士にとって合理的だし、得られる報酬としても申し分ない。
(噂によれば慰謝料のウン十倍、百倍だとか)

そりゃ、心情抜きに弁護士側が合理性だけを考えれば金銭的に有利な示談を選択してしまう悪循環は生まれるよね…。
まして映画業界トップの大物プロデューサーを相手取るともなれば、相手側には相応のプロ弁護集団によるバックアップが当然あるだろうし。
そうなると被害者自身と示談が唯一の方法と無理にでも思い込んじゃうよな…。


また、他にもEOCC(全米雇用均等委員会)はセクハラをはじめとする会社への苦情に関する情報の開示、共有が認められていないといい、求人募集を探す側からすれば企業側優位で不公平な状況にミーガン同様呆れてしまう。
ただ、同時に自分自身、日本にいてもこういった情報にフラットにアクセスできる状態で就職・転職できる環境があるか、と問われると正直わからないし、たとえ女性の働きやすさをくるみん認定や女性管理職比率などを企業側がうたっているのを見ても「だとしても個々人でハラスメントがない訳じゃないんだろうな」と思ってしまう自分がいる。

他にも、被害者側にもせめてもの抵抗力としての条件付き示談に持ち込もうとした際、ワインスタイン側から提示された守備事項に記載された「示談書の複写NG、閲覧権のみ」。
はぁぁぁあああっ!!!?
このことをジョディに打ち明けた女性が他にも書かれていた事項をサラサラと口にする姿は、未だに当時のショックを鮮明に記憶していること、口外はできない溜め込んだ怒りの表れとして胸が痛む。


そんな、2枚目の"レンガの壁"によって被害女性と接してもオンレコでの言質が得られずに苦悩するジョディとミーガンは、それでも丹念な調査によって真相に辿り着こうとする。

ここ、本当に何が凄いって、彼女たちが目指した調査報道の徹底したファクトチェックと情報の積み上げ。
引きのあるスキャンダルとしてこの件を落とし込もうとしていない。
証言が揃えばワインスタインの犯してきた性的暴行に関する信憑性も被害者の安全性も高まる。
そして、この証言や証拠の積み上げるという行為そのものが、すなわちのちに発展する#MeToo運動最大のキーワードである"連帯"なんだと気付かされる。


そうして遂にワインスタインの側近にいた内部関係者からも証言、証拠を得ていく彼女たちは3枚目の"レンガの壁"、いよいよこれを報じるためのステップとしてワインスタイン側陣営からのオンレコでの対話に向かっていく。


ここで登場する編集主任のディーンがワインスタインに一切怯まず応じる姿がまぁ格好いい!!
かつてワインスタインと対峙した経験から彼との会話は絶対にオンレコにしておくべき、とジョディとミーガンに忠告する的確さ。

オンレコでの言質が1人も得られないままで記事を出すかどうか、チーム内でも意見が分かれるなか、ここで記事を出すこと、そのだにもワインスタイン側に2日間の回答猶予を設けること、を判断する彼が格好良い。
ディーンを演じたのは、本作が映画としては遺作となったアンドレ・ブラウアー。

自分にとって、人生最高のドラマであり一生観ていられると思っているドラマ「ブルックリン・ナインナイン」で彼が演じていたレイモンド・ホルト署長は、シリーズを通して賑やかなチームを冷静さと愛情深さで支える署長として本当大好きだった!!
本作でも全力で取材を続けるジョディとミーガンを主任としてバックアップする上司の姿、最高でした。
彼がもうこの世にいないということがいまだにちょっと信じられない…。
ドラマは終わったけど、まだまだ観ていたかった…。



そんな彼が演じたディーンの支えもあっていよいよ訪れる2017年10月5日。
チーム全員が何度も読み直し、目を合わせ、遂に発行する瞬間。

これはのちのムーブメントの始まりに過ぎない。
そして、決して英雄譚にしない。
ワインスタイン報道の肝は、いままで業界の"暗黙の了解"とされてきたことに対して「Time's up」と声に出して、これまでの慣習を疑い、みんなで考え、ときに"連帯"して行動を起こせば、事態を変えることはできると証明したことに尽きる。

だからこそ、実録映画にありがちなエンドロールにもしない。
彼女たちが"レンガの壁"を乗り越えることが出来た。
では、これを観たお前はどう考え行動する?
そう問われた気さえした。



本作、映像に音をどう載せて描くか、映像をどう映し出すか、ということに凄く配慮、意識が行き届いた映画だと思った。

"レンガの壁"が並ぶ街並みを、1人の女性が服を抱えたまま逃げるように走るショッキングなオープニング場面然り、録音テープが流れながら映し出されるホテルの廊下然り。
オンレコを決意した被害女性が独白するナレーションと共に映るホテルの一室とシャワーの音。

ニコラス・ブリテルによる重たい旋律をバックにミーガンとジョディそれぞれが取材先へと車を運転するシーンでは、常に重たい曇り空が広がっている。
というかこの映画、全体的に曇り空が多い。雨ではない。
また、屋内で会話するときも基本的にはレースで外が見えなかったり、店内が自然光程度で決して明るくはない。
どこまで計算しているかわからないけれど、調査報道の困難さ、問題の重苦しさが映像的にも自然と伝わってくる。

本作、一方で晴れ空のもと描かれる場面が2箇所あり、一つはオープニングの1人の女性が映画と出会う輝かしい瞬間。
そして次に描かれるのは、遠路はるばる被害女性に取材しようとジョディが赴いた先で出会う、まさかワインスタインと関わりがあるとは露にも思っていなかった人との場面。
ジョディが取材している業界とは別の世界を生きていたその相手に対し、思わず打ち明けてしまったジョディの身が裂けそうな辛さが痛いほどわかる。
このように、映像的な明度がかなり意識的に撮られていると思った。

そして映像と音の印象的な表現の極め付けはいよいよやってきたワインスタイン側陣営と会議室にいるミーガンの姿。
彼女の目の前ではなんとか報道をねじ伏せようと騒ぎ立てるが、彼女はそれを黙って見ている。
これまで彼女たちが取材を重ねてきたなかで見えた真実と目の前で騒ぐ彼らの姿のギャップ、心の断絶ぶりが凄く印象的だった。

そして映像と音といえばもう一つ印象的なのが、ジョディとミーガンの人物像。
彼女たちは序盤、被害女性や関係者からの電話を受ける際、子供の面倒を見ている最中だったりする。
会話の内容は心痛する一方、彼女たちは母親として妻として家庭を持つ人物でもある。
彼女たちを仕事一筋の人物としては描かず、家庭での姿も一緒くたに描くことで、同時に被害女性たちが奪われたものが夢だけでなく生きる上での全ての判断軸の基礎だったのだということも感じさせる。
だからこそ、この時代、この世界に踏み入れてしまった自分たちとは違って子供たち次の世代には同じ経験をして欲しくない。
だからこそ自分たちは声をあげるんだ。そんな勇気を出して声を上げてくれた彼女たちの声を自分たちは世に伝えるんだ。
という切実な想いもより倍増する。
ちなみにだけど、途中ジョディとミーガンが一緒に取材に行こうとしたら白のワンピースが被って思わず笑っちゃう場面とか、シリアスな仕事の合間に見せる人間らしい姿であそこも良かった。


映画として、実に映画的表現によって、一度"レンガの壁"に入ってしまった彼女たちの声を、なんとか世間に届けようとするジョディとミーガンの姿。
決して派手な見せ場はないが、暗転するラストカットの瞬間まで引き込まれた。
彼女たちのジャーナリズム精神に大変感心した。
ジャン黒糖

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