ジェイコブ

地下室のヘンな穴のジェイコブのネタバレレビュー・内容・結末

地下室のヘンな穴(2022年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

郊外に佇む一軒家に、新居購入の為の内見に訪れたアランとマリー。中年夫婦特有のすれ違いを数多く抱える二人に、胡散臭さ漂う不動産業者の男は、物件最大のセールスポイントとして、通ると「3日若返るが時間は12時間進む」という地下室にある妙な穴を紹介する。男のつまらないジョークと思っていた二人だったが、男と一緒に穴をくぐってみると、先程まで夕方だったはずの時間が、朝になっている事に気が付く。念願のマイホームを購入した二人の前にある奇妙な穴。穴に無関心なアランに対し、若返りの魅力に取り憑かれたマリーは、穴に執着していくようになる……。
フランス映画界の奇才カンタン・デュピュー監督最新作。突飛な設定と、奇妙な世界に翻弄される人々の姿を通して、この世にある不条理を描く監督が今回描くのは、「老いと愛」。深いテーマなんて別にないと監督自身は言うかもしれないが、外見ばかりにとらわれてしまうがために、本質や自分自身を見失っていくマリーとジェラールの抱える問題点は、誰にでも共通するテーマであり、昨今増加する熟年離婚の根底にある要因の一つでもあるだろう。
目の前にある利器やチャンスがあったとしても上手く活かせずに、自身の欲望のままに使うがためにその物事の持つ利便性故に自滅していく人間の姿はドラえもんに通じるものがある。
若さや美貌に執着したがために、奇妙な穴に狂わされていくマリーと、自然の摂理に抗わずに目の前の物事に懸命に取り組んだことで、愛犬と一緒に悠々自適とした老後を過ごすアランの対比はロバート・ゼメキスの「永遠に美しく…」を彷彿とさせる。
見所は若さと男性性に取り憑かれたジェラールが移植した最先端医療である電子ペ○ス(メイド・イン・ジャパン)だろう。男の欲望がもたらしたといっても過言ではないこの画期的発明だが、安心と安全の日本製と言えどもやはり使いすぎれば当然壊れる。修理のために日本を訪れたジェラールが、「イエス! 高○クリニック」と言わんばかりの怪しげなドクターに修理を受けている姿が何とも滑稽で笑えてくる。皮肉なのは、ジェラールの最期がその自慢の一物が原因であるということだろう。
本作を観ていて感じたのは、「シュレーディンガーの猫」から着想を得た話ではないかということと、江戸時代の名奉行で知られる大岡越前の逸話を思い出した事だ。大岡はある日若い男と不倫関係に陥った老婆の裁判を担当した。相手が老婆という事にいたく驚いた大岡は、女性の性欲はどれほど続くのかと素朴な疑問を抱き、老年の母親に対して「母上、女性はいつまで女(性欲)を持ち続けるのでしょうか?」と尋ねてみたところ、母親は何も言わず、火鉢の中にあった黒焦げの炭を箸で掴んでみせた。大岡はそれを見て、「なんと……灰になるまで?」と察し、驚愕したとか。実際に一定の年齢を超えた段階で、男女間で美に対する認識の差が大きいのは高年齢女性向けの化粧品やアンチエイジング商品の数の多さなどを見ても明らだ。本作のマリーはまた極端な例かもしれないが、若く美しくありたいと願う気持ちは、多くの人が持つものである。だからこそ、例えそれが3日間だけとは言え、若返る事ができるという魅力に抗えなかったのだろう。印象的なのは、ほんの少し若返っただけで、胸のハリが全然違うと喜ぶマリーに対し、別に変わんないじゃんと一蹴するアランの対象的な反応。そんなアランの無関心さが、マリーの中の欲望に火をつけるきっかけとなってしまうのが、何とも切ない。
カンタンは自身の映画について、「深い意味なんて考えてない。90分、楽しんでくれたらそれでいい」と語っている。その言葉が表すように、彼の映画はどれも90分未満でコンパクトでありながらも、濃密に凝縮されたブラックユーモアが描かれている。本作は同監督の過去作である「ラバー」や「ディアスキン」に比べたらかなり単純かつ明快なテーマとなっている。しかし、その分実際に周りにいるような人間臭い欲望にまみれた人達の等身大の姿が描かれている。特に、中年男性にありがちな虚栄心の塊で、常にマウントを取る事や外見の美にばかり拘るも、内面は脆く繊細なジェラールみたいな男は山ほどいる(笑)
後半の怒涛のモンタージュに関しては賛否の分かれるところだろうが、個人的にはシーンを端折ったというよりは、あそこをあえてモンタージュにすることで時の流れの速さ、無情さを表現すると共に、それに抗えない人間達の無力さを描いているのではと感じたので、斬新なアプローチとして捉えている。