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MONDAYS/このタイムループ、上司に気づかせないと終わらないのmegurosのネタバレレビュー・内容・結末

3.6

このレビューはネタバレを含みます

タイムループものは数あれど、同じことを繰り返していないか?という広告業界における日常の感覚、ブルシットジョブ環境を比喩的に取り入れている点において、まず個人的な共感は深い。

ただ、タイムループものの定番である”同じことの繰り返しによる熟達”がこの映画ではうまく消化されなかったのは個人的には残念。

※ここから本当に個人的な、備忘のためのぼやきです(というか...全部最初から独り言なのですが念のため…!!

「オールユーニードイズキル」でも「恋はデジャブ」でも、極端な熟達が道を切り開いたり悟りの境地に主人公を導いたり、ジャンルの面白ポイントになるはずなのだが、”広告の企画”というものの善し悪しの判断基準/熟達の成果が不明瞭かつ、提案から効果計測まで1週間ではキャンペーン成否も見えないため、熟達の活用は”たくさん仕事がこなせるようになった”とか”デザインができるようになった”とかその程度だった。

(どういう提案がクライアントにどう受け止められ、それを工夫して、フィードバックループの中でどう展開したとか絶対にあるでしょうとは思うのだが...)

しかしそれはそもそも、各自が仕事に熟達することを描いていくと、あの会社が最強カンパニーとなるという筋書きか、あるいは広告クリエイティブにおいて自分にはセンスがない等と個人が気付いてしまうという話か、どんどんとあらぬ方向に話が進んでしまうからで、”タイムループものを集団で行う”というこのアプローチが抱える問題を脚本自体が解決できていないからだとも感じる。

少なくとも、”脱出条件を探してそれを達成するゲーム”のような話は最適解ではなかったはず。自分にとってタイムループものの醍醐味は、全ての選択肢を踏み、それでも繰り返す毎日の絶望の先にたどり着く境地を見せるもので、スピリチュアルジャーニーを時間的に圧縮・凝縮できる点にこそある気がしている。だからこそ、倫理にもとる職場放棄や恋愛に走る展開も含め、もっと極端に繰り返した先に脱出がある...という話が見たかった。(漫画自体は面白そうだったが、唐突に広告プロダクションが漫画プロダクションの話になってしまったのは、構造に無理があったためだと思ってしまった)
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