くまちゃん

宮松と山下のくまちゃんのネタバレレビュー・内容・結末

宮松と山下(2022年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

エキストラ俳優宮松。主役にはなれない男を巡る静謐なドラマ。

主演香川照之は「半沢直樹」以降、過剰な演技を求められることが多い。
散々見せられた威圧的怪演の数々に観客はもはや食傷気味であり、そこまで求めていない。
繊細かつ複雑。
こんなに静かな香川照之は久しい。

役者としての基礎があり、リアリズムを突き詰めた技術があるからこそデフォルメされたオーバーアクションができる。
型があるから型破りとはよく言ったものだ。
今作に過剰な演技はみられない。
不安と焦燥、何かに対する漠然とした恐怖を「静」なるアプローチによって巧みに表現されている。
演技者としての香川照之は非常に技巧的で職人的である。

宮松はロープウェイの管理業務に就いている。エキストラだけでは生活ができないためだ。
なぜこの仕事をしているのか問われた宮松はゴンドラが宙に浮いてる感じが好きなのだと答える。
それは地に足付かない自身の生活と重なるのだろうか。
丸定規を使用し几帳面に業務日誌を作成する宮松。
それは空間を埋める作業が好きなため丁寧になってしまうとのこと。
主演を際立たせ、間の所々を埋め尽くすエキストラと通じるものがあるのかもしれない。
餡を生地で包み餃子を作る。
見かけによらず器用な宮松。
繰り返し作業は他のことを考えずに済む。
それは何も考えず、与えられた数ページの他人の人生を演じるエキストラ業そのもの。

宮松を映すカメラは第三の視点ではなく、劇中劇の視点が多い。時折リアルなのか劇中映画なのか曖昧な部分がある。
一応境界線は存在するが、その不安定感が記憶を失った宮松を象徴している。
自分の無い彼にとって、映画内でも現実世界でも全てがリアルであり、全てがフィクションなのだ。

宮松の元に知人を名乗る男が訪ねてくる。彼の話によると、自分の名前は山下で以前はタクシー会社に勤めていた。ちょっとしたトラブルで頭を強打し、姿を消したという。さらに妹もいるらしい。

次第に明かされる宮松の過去。

そのトリガーたるが、記憶喪失前によく吸っていたというタバコである。

宮松と妹藍は血の繋りがないことが示唆され、二人の関係は仲の良い兄妹に見えるが、良すぎるようにも見える。健一郎もそれを疑い宮松を突き飛ばす。

入浴中の藍と、ドア越しに着替える宮松。
久しぶりに帰ってきた兄のシャツの匂いを嗅ぐ藍。

宮松と藍の関係性は詳しくは語られない。
純粋な兄妹なのか、一線を超えたのか。

診察の結果では宮松の記憶喪失の原因は頭ではなく心の可能性がある。
心の奥底で眠る宮松の過去は、彼自身が無意識に封じ込めたもの。
消し去りたい、忘れたいものだったのかもしれない。

だが、そんな宮松はタバコを吸い、記憶が蘇る。

藍は思い出してほしかったのか。
自分との記憶を。
宮松とまた一緒に暮らしたいと、そう願うのか。
タバコを勧めたのも藍だった。
丁寧に通っていたタバコ屋の場所とライターを用意して。

余韻を残すラスト、語らない静かな作風がどことなく深田晃司監督作と似ている趣きがある。
若手がほとんど出演していないのも好感が持てる。

「宮松」という名はどこからきたのか。
保健証や住民票、マイナンバー、銀行口座等はどうしたのか。
記憶をなくし新たな名前で生活するには縛りが多く難しいだろう。
「鍵泥棒のメソッド」のようなコメディならまだしも、今作品の作風を鑑みるに設定が現実的ではない。

宮松は本当に記憶がなかったのだろうか…
くまちゃん

くまちゃん