アオヤギケンジ

Pearl パールのアオヤギケンジのレビュー・感想・評価

Pearl パール(2022年製作の映画)
4.1
少女パールがマジやばいやつだった映画。やや長文です。
パールはいろんなものに閉じ込められています。田舎に閉じ込められ、母親にはほとんど動けなくなってしまった父親の介護を命じられ、解放者になると思っていた夫は戦争に行ってしまい、生死もわかりません。
この閉塞感漂う状況で、ただひとつパールに安らぎを与えたもの、それは映画でした。母に内緒で観に行く映画、その銀幕の中で踊るダンサー、そしていつか自分もダンサーの一員になりたいという夢、それだけがパールを呪いから解放し、自由な世界へと誘ってくれるものだったのです。
しかし映画を観ていると、パールを解放してくれるものは映画だけじゃなかったことがわかります。それはたとえばセックスであったり、あるいは殺人だったりします。つまりパールは欲望塗れの人間だったのです。
彼女が欲したあらゆるものはほとんどが手に入らないものばかりでした。しかし殺人だけは、彼女が欲すれば手に入るものだったのです。彼女を解放してくれるものはいくつもありましたが、彼女の手が届くものは人を殺すことしかなかったのです。でも「殺すの楽しい!」と思ってしまっているパールはそこでブレーキなどかけません。一回その味を占めたら最後、とにもかくにも手当たり次第に殺していきます。理由などもうどうでも良いのです。だって殺したいのだから。そして人を殺すことが自分を解放してくれるものだと思い込んでしまっているのだから。
つまりは、ぶっ壊れてしまっているのです。そしてそのぶっ壊れている様を観客はとことん観ることになるのでした。ラストシーンは特に。