mizuki

ぬいぐるみとしゃべる人はやさしいのmizukiのレビュー・感想・評価

4.6
悲しかったことや辛かったことを吐き出したいけど、他人に吐くと辛い思いをさせてしまうかもしれないからぬいぐるみに吐き出す。自己完結しようとするから、"やさしい"。
もう一つ、なんでも受け入れる"やさしい"気持ち。
わたしも、これらがやさしいと思っていたことがある。でも、それって本当にやさしいでしょうか、というテーマに果敢に挑戦したのがこの映画だと思う。

わたしはぬいぐるみには話しかけないのだけど、それ相応のことは今までしていた。例えば、感情が昂った時(喜怒哀楽なんでも)に書くためのノートを作って、書き殴っていた時期がある。高校2〜大学2年くらいまでそこそこ頻繁に書いてた。実名を挙げながら話したいけど、それを高校という小さなコミュニティでやったら、悪口は陰口になる。恋の話もたくさんかいていたので、好きな人がバレるリスク回避のためでもあった(笑)自分の思想を解剖する目的もあったから、ただ "嬉しい"とか"悲しい"とか当たり障りのない言葉で完結せず、Howの部分を具体的に書くことをルールとしていた。人の感情って全部オリジナルなはずなのに、ありきたりなラベリングをすると、機微が抜け落ちてしまうと思ったから。
やめたわけではないけど、ここ2年くらい書いてない。同時並行でnoteというブログや、このFilmarksに書くこともやっていたけど、誰かが見てるかもしれないところに書く方が細かく説明するし情緒ある文になることに気づいた。「どうせ誰も見てないでしょ」って思いながら自由に書けるし、「でも偶然誰か読むかもしれない」と思うと一応読んでそれなりに読みやすいものとか、できれば面白いものとかにしておきたい。自分しか見ないところでは、「自分だからわかるでしょ」って言葉足らずになる。言葉は人に伝える道具だと思うから、人に伝える目的を持っていた方がいいみたい。


劇中でも言ってたけど、"やさしさ"ってその人を変えないで受け入れることでもある。時として、それは残酷なんだよね。自分の中だけで自問自答して文を作っていると、「このままでいいんだ、今の自分が最善なんだ」と錯覚する。堕ちていても、「そのままでいいんだよ、だって変わるの辛いし」って言ってあげちゃう。それが、七森や麦戸の状況だと思う。今思うと、人は堕ちたままでいいわけない。ぬいぐるみに話しかけているだけだと、ぬいぐるみは「変われ」とは言ってこない。だから人に話して自分の視野の狭さを知る必要がある。私の状況で考えると、自分しか読めないところに文を書いてばかりではなく、人が見てるかもしれないところに書くことで、こういう性格の人がこの文を見たらこう思うかな、とか多方面に想像を巡らせることで多少客観的な文章になり、脳内も少し整理される。どこかで他人の気配が必要なんだよな。自己完結してると、周りはわたしが何考えてるかわかんなくてどんどん乖離していく。この世は他人あってこその自分だから、思考したことを外に吐き出すのはやめてはいけないと思う。
周りの人には、どんどんわたしに感情を吐いてほしい。負の感情も。わたしは、七森や麦戸みたいに、聴いた言葉に傷つき共感しにいこうとはしない。だって、相手を意味もないのに傷つけるのが怖いから言えないんでしょう?わたしは、辛い気持ち、痛い気持ちなど、感情そのものへの共感は、できるからする。でも、具体的な事象(痴漢している人を見ても何もできなかった自分が最低で辛いとか、恋愛がわからないことで笑われた人へ向けるヘイトとか)に対する共感はしない。わたしは、「あなたはそれが悲しかった/嬉しかったんだね」と言うことに留めるようにしている。その人の感情は、その人のものだから。わたしのものにしたら失礼な気がする。みんなが気軽に感情を吐き出せるように、わたしは、「何を聴いても揺らがない(ようにする)。あなたの相談を受けたからって落ち込んだりしない、わたしは変わらずここにいるよ!」って、いつも思ってる。ちょっとは伝わってるといいな。ぬいぐるみのように、基本「うんそうなんだね」って聴くけど(「傾聴」といいます)、堕ちて堕ちてそのままでいようとしたら引っ張り上げる能動性は持っていたいな。「堕ちたままじゃ死んじゃうよ!」って。



七森や麦戸の気持ちは、わかるけどわかりたくないやつだった…。そこは、『式日』観た時と同じ感覚。"傷つくことで、自分は加害者じゃないと安心してるんだと思う"、私も思う。"酷いことするとき酷い顔できる大人になってくださいね(『堕教師』大森靖子)"…。『時計じかけのオレンジ』のアレックスみたいなのを一見最低なやつって思うよね、でも本当に最低なのは誰?みんな等しく、知らないところで人を殺してるかもしれない。人を傷つけるのが怖くて黙ったままでいても、「保身じゃん。自分のことしか考えてないじゃん。」って傷つかれるかもしれない。何やっても傷つかれる可能性があるならば、やっぱり、ちゃんと発言した方がいい。ちゃんと発言して世論にしろよ。
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