櫻

ぬいぐるみとしゃべる人はやさしいの櫻のレビュー・感想・評価

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やさしさは難しいって思う。

自分がやさしくしたいと思ってやったことでも相手に伝わらなければ、それはやさしさにはならないのだと、大学生のころの友人が泣きそうになりながら話してくれたことを思い出した。それに対してわたしは、「それでもわたしにはやさしさとしか思えないよ」としか伝えられなかった。

今の仕事をはじめたてのころ、お客さんと接するとき、わたしが気を遣いすぎてわたし自身の緊張が伝わってしまって、お客さんも緊張させてしまっていたこと。ゆったり過ごしてもらいたいと思いながら、そう思えば思うほどに反比例して空回りしてしまっていた。現在も実際にできているかは不安でならないけれど、まずは自分が静かなこころで穏やかであろうと心がけている。自分の発している目に見えないものが、よくもわるくも同じ空間の誰かに影響を与えてしまうのだとつくづく感じる。

普通とされていることから自分は外れていたことに気づいたとき、そこまで気にしていなくても、まわりが腫れ物のように扱ってきたりする。大丈夫、受け入れられるよ、わたしたちという目線を向けてきて、こころの大切な部分が剥がれそうになることがある。

わたしの知らないところで、今日も誰かが尊厳を踏みにじられていること。その多くがわたしだけではどうにもならないこと。こう考えているわたしでさえ、その加害者になり得てしまうこともあることがずっと恐ろしい。


この作品には、わたしが日々考えたり体験したことの多くが映っていた気がした(これはほんの一部)。傷つくのは、こころがあって、頭で考えることができるからだ。ここに出てくるぬいぐるみと話す人たちは、自分が傷つくことにも、誰かが傷つくことにも敏感だから生きづらい。ふわふわのぬいぐるみたちのようにこの世界は、やわらかくあたたかなやさしい何かではなく、ひどく残酷でつめたい場所だからだ。おそらく彼らのような人たちは、それをつくっているのが自分でもあるのだと、知らないではいられない。いつもわたしたちは、実はあやうい綱渡りをし続けているのだということに気づいてしまう。

わたしが人と関わることがどこか怖いのは、誰かを傷つけることを気づかないうちにしてしまうのではないかという不安がいつもあるからだ。誰かの痛みに気づけるくらいのこころの余白を自分でもっていたいし、自分の痛みに自覚的でありたいと思う。少しでもやさしい世界を手づくりしていくために。
櫻