MK

ぬいぐるみとしゃべる人はやさしいのMKのレビュー・感想・評価

4.0
優しくて居心地の良い場所に居続けることの是非、居続けられることの大切さを考えさせられるとても良い映画だった,
ぬいぐるみ、植物、お墓、ペット、自然、自分自身…相手ではない何かに話しかけることって自分にとって何をもたらしてくれてるのかなって、考えてみたくもなった。

家にあったぬいぐるみに話かけてみたけど、この作品に一貫していた思考は自分の中では良いパラダイムシフトになるかもと思った。

僕に勇気がなくてみんなを止めることができないからこの世から戦争がなくならないんだ?悪く合えば都合の良い自己否定と罪からの逃走ともとらえられる…だからこそ居続けて良い場所かは考えなくて楽ならないのかな。

そして町田君の世界、大人はわかってあげないで印象深かった細田佳央太君は本作でも存在感があった。

『「社会正義』はいつも正しい』というジェンダーやアイデンティティにフォーカスした本を最近読んだのだけれど、構造主義や権威主義、白人男性の優位性が根幹にあるとされた社会にあっては、生きづらさや不自由さを感じる、性差や人種に止まらない様々な要素、ルーツ、そんなものが散りばめれ議論され、はたまた対話の相手すら慮るあまりに完全に相対化されたぬいぐるみと対話をするというスタンスは独特だったし、千差万別に定義されないアイデンティティがあることが許容されていく世の中になればいいなと自分にも言い聞かせながら鑑賞した。

相対的な不条理や衝突がなくなる方向に社会が収束して集合的な意識体が生まれれば個人の意識なんて必要なくなるのかな?

ワイヤードの樋口恭平さんの短編小説を思い出した。

『人類のそれまでの歴史は他者の存在を前提とする関係性に対する苦悩の歴史だったが、今や他者と呼びうる個体自体が消失していた。一つの社会集団を束ねるためにかつて必要とされていたあらゆる規範、圧力、犠牲はもはや、構造的・原理的に発生しえない遺物となった。』

生きることの意味はさておき。
MK

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