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ぬいぐるみとしゃべる人はやさしいのaiのレビュー・感想・評価

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2023年、251本目。

この作品には共感できる台詞や想いが沢山詰まっていたけど、観ていてとても苦しくなった。
まず"ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい"というタイトルがしっくり来ない。
前提として私も幼い頃からぬいぐるみと話す人間だったし、今でも話している。
でも本作を観てもその行為が"優しさ"とは結びつかないと感じた。

ぬいサーに集まる彼らは人を傷つけてしまう事と自分が傷つく事に極端に敏感で、被害者になる事で自分を守っている。
七森が「傷ついてる僕は加害者じゃないって思って楽になりたい」と言うように、ぬいサーのメンバーは皆臆病なのだと思う。
優しさと紙一重の"臆病"を"やさしい"と変換していいの?というモヤモヤが残った。

ぬいぐるみは否定もしないし反論もしない。
つまり彼らに(私にも)都合が良い存在なのだ。
しかし人生はいつまでもぬいサーのような居心地の良いぬるま湯に浸かってはいられない。
いつしか麦戸のようにぬいぐるみを抱いて外を歩くこともできなくなる。
彼らの数年後を思うだけで胸が苦しくなってしまった。

人と関わるという事はお互い無傷ではいられない。
それでもこの世の中を生きていくために人との対話は避けられない、むしろ大切なんだと七森と麦戸が気づくシーンはとても良かった。
新たに新入生をぬいサーに迎えるシーン、最後の白城の語りにも救いを感じる。
白城の存在はあっちの世界とこっちの世界を繋ぐ役割で自分に最も近く、居てくれて安心するキャラクターだった。

彼らの悩みはとても現代的で、こういう人たちにスポットが当てられる事自体が嬉しい。
同時に自分が大学生の頃に感じたモヤモヤをくっきりと可視化されたようで苦しくもあった。

そして、ぬいぐるみと喋る方法にも色々あるのだと知った。
私のぬいぐるみは返事をするし会話をするのだけど、ぬいサーの人達は一方的に語りかけるだけだったのが印象的だった。
自分もぬいぐるみと話すくせに、ぬいサーの部室の光景を異様だと感じてしまったのも本心。
こういうのって人に見せちゃダメなんじゃないの?という固定概念があったから。
あと、あまりにも沢山のぬいぐるみがあったのも違和感だった。そこには絶対に優劣が存在して、ホコリを被り触れられないぬいぐるみが居るという事実が私には耐えられない。

七森がおばけちゃんを作ってから前からいたくまのぬいぐるみに触れる機会が減り、最後には倒れているのに気づいても貰えていなかったのが悲しかった。
人の痛みには敏感なのに、大切なぬいぐるみの痛みには鈍感なの?
初めの方に七森が告白を断るシーン、ぬいぐるみを大切にする思いが結果的に女の子を傷つけるという"やさしさ"の裏側が描かれているのも胸に刺さった。

ぬいぐるみ目線という遊び心がちょくちょくあったのは嬉しいし、ぬいぐるみを洗うシーンが丁寧に描かれていたのも良かった。

思わず長々と散文を書いてしまいたくなる作品。
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