AK

ぬいぐるみとしゃべる人はやさしいのAKのネタバレレビュー・内容・結末

3.0

このレビューはネタバレを含みます

ぬいぐるみに話す事で人を傷つけることもないし、困らせることも悩ませる事も無いから話している

それは確かに良い対処法だと思う

SNSに吐露することによって、自分が思い描いているところと違う方向に行く場合もあるだろうから
自分のストレス的なものを吐露したい事を誰にも迷惑かけず解消する方法があるなら、それがぬいぐるみに話す事ならそれはそれで良いと思う

一方で思ったことは、全部が全部そうでは無いと思うけど、接する周りの人を低く見積りすぎて無いか?とも思った
確かに話しを聞いて受けて側が嫌になったり傷ついたりする事がもしかしたらあるかもしれない
でもそれは話してみないとわからないことだし、相手側が決める事。
相手自身もこう言う話されるの嫌なんだって気づけるし、話した側も表情やったり態度を見て、あ、もしかしたら不快にさせたかもって気づくし、確認できることだと思う。
ここでこれ言ったらあかんなとか、そう言う人としてのさじ加減
勝手な想像でそのさじ加減決めつけるのはどうかとも思った。
そしてその想像での決めつけで自分が苦しくなっていくのも悪循環だと思った。
そうしていくことによって、コミュニケーションの面で成長していくものだと思う。

普段生身の人と話さないから、自分自身の思いはあるけど、言葉として人と話さないから、自身のプライドやったり価値観が高くなり、固まりすぎて、人から嫌だなと思う事をされた時の対処法がわからなかったり、それを言葉として意見として相手に言えなかったり急にキレて帰ったりするのかなと思った。


話すと言う事をしていれば、こいつめんどいやつや、言ってもわからんやつやしって、先帰るわーってその場を立ち去る事もできるだろうし、人と話すの大事やでってほんまに思った居酒屋で帰ったあのシーン。

白城だけは勝手なさじ加減で相手を見積もらず、周りのせいにもせず、コミュニケーションをとっていく中で、相手の表情、仕草見て、判断していて、最後の私は話さないって言うラストも、十人十色の視点を残していて良かったと思う。

優しさとして言われていたところは、優しさという観点でも見れるけれど、飛び込む勇気が無い気もした。
飛び込まずに言わない事発言しない事が優しさとするなら、それは勇気がないだけ、自分自身も相手のことも低く見積もって勇気が無いだけとも思った。
もちろんいろんな意見があるだろうけど。

主人公の草食な感じが苦手過ぎたから、こう言う意見になったのかもしれない。
AK

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