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ぬいぐるみとしゃべる人はやさしいの8のレビュー・感想・評価

4.7
主人公の見た目とかアートワークで偏見持ってた
CIYNMのお便り紹介で、生きづらさについて語ったお便りを読みながら、あゆちゃんが「ぬいしゃべだ、これ」と言っていて、「そんな話なの?」と気になった、見てよかった

これ、色んなもので身を守るよりも、ずっとずっと前の話、無防備だった、忘れてた頃

かわいいぬいぐるみが無邪気で悪意のある子どもに投げられて、宙をまって、水たまりにべしゃって叩きつけられるのに傷つくのとか
大事にしてるぬいぐるみをもう中学生になるのに持ってたら変かな、捨てなきゃいけないのかな、と思った時のぎゅってなる気持ちとか
人を否定する笑いや偏見に傷つきながら、笑わないと変だから合わせて笑うのとか
キャンパスで知らない人のはしゃぐ声に怯えて歩くのとか
合わない人と衝突しないために深い話をしないのとか
全部わかるし思い出す

「もう1個のサークルではセクハラとかもあるから」
「えっ、じゃあやめなよ」
「やめないよ、打たれ弱くなっちゃうから」
「なんで?打たれ弱いのは悪いことじゃないよ」「自分のこと嫌なものから守るために、白城嫌なものになっちゃうよ」

最初白城ってなんなんだろう、と思ったけど、白城のことすごいわかるよ、私もずっとそうだよ
マイノリティのまま声を上げるのと、マジョリティの立場から声を上げるのでは聞き届けられ方が全然違う
私は自分に対する"イメージ"を用意してる、白城と同じ
大衆の思う"カッコイイ人"が関心があることならそれはカッコイイことになる
カッコイイ人が社外問題や政治に関心があれば、それはカッコイイことになる
イメージは人を守るし自由にする

自分も傷ついていたのに、自分の身を守ることに必死で、気づいたら「なんで身を守らないんだろう、こっちの方が楽なのに」ってなっちゃうのも、すごくわかる

わかるんだけど違うんだよな
それだとウィークネスフォビア(弱者嫌悪)になってしまう
"私だって耐えてるんだから、弱音なんか吐くな""どうして可愛くならないんだろう、愛想笑いを覚えないんだろう、鈍感でいないんだろう、そっちの方が楽なのに"
こういうのは全部おかしい

弱い人が弱いまま、生きられる社会じゃなきゃいけない

最近は、傷つく用意がある人の方がすごいなと思う
私はいつも傷ついてないふりをしてる、怒ってないふりをしてる
恥ずかしいから
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