アンチポデス

ぬいぐるみとしゃべる人はやさしいのアンチポデスのネタバレレビュー・内容・結末

1.0

このレビューはネタバレを含みます

令和の怪作。
原作小説を読んで、解せない点が多かったから解決を求めて映画を視聴したが、更に謎が深まった。

ぬいぐるみサークルのような、優しい人々の生活、思考を否定したいのではなく、七森君の思考と行動を、映画の描き方を批評したい。

七森君の行動原理から、安易な優しい男子を批判することが目的で描かれているのであれば、コンビニ人間みたいで非常に良い。★5

ジェンダー映画、若年層の新しい恋愛として描いているなら、差別的で前時代的な作品。
ぬいぐるみサークルの題材はすごく好きだし、ここで言う優しい人々にも理解と共感を示せるが、それを塗りつぶす勢いで七森君が醜悪。

小説との差異について
・七森君の心情描写の欠如
原作では七森君の心情描写が気持ち悪いというか、独善的過ぎて不愉快だったけど、映画では徹底して七森君の心の声を描写していない。
麦戸ちゃんへの愛の心情描写ときっかけをサラッと流しすぎているため、何故七森君と麦戸ちゃんの関係があれ程密接なのか分からない。
全体的に七森君の心情描写、心の声が伝わらないから何を考えているのか分からない。(なんで金髪になったの?)

・地元の友達(ヤス)との絡み
地元に帰って、嫌な気持ちになるまでのプロセスが不明瞭過ぎる。

原作では、白城さんと別れたり、麦戸ちゃんの家に行くまでに悲しいことがあったから、男性性の加害性を意識して、高校時代のノリに耐えられずに爆発した。(このノリも高校時代の自分の浅はかな経験というか罪なのだから、そこを深く反省しないところに疑問を抱く)

映画だと、偶々あった高校時代の友達遭遇して、居酒屋に行って「童貞でしょ?」と煽られて怒って帰っている。
これだけだと、童貞が耐えれなかっただけになってしまう。
社会の歪みを見て、自分が分からなくなってしまった麦戸ちゃんに、何故童貞と言われて怒って大学に来ない七森君が共感できるのか??
全くプロセスが違う。
あと他人に対し、自分を傷つける人とレッテル貼りして、正義感を振りかざすのに、ヤスを傷つけることを何とも思ってないところが七森君の甘えだと思う。

・脇役のニュアンス
白城さん
一番の被害者だと思う。
社会の歪みとジェンダーに対する不満感を一身に背負って映画内で戦わされている。
言動が意味不明な七森君と対比になっているから、一番役に人間味が感じられて、重厚感がある。

鱈山さん
原作だと、普段は元気そうなのにぬいサーに救いを求めているお兄さんのイメージ。
映画では、精神病ギリギリのやばい人。
ぬいサーの包括力を表す為だけの舞台装置になってしまっていて、非常に困惑。

彼女持ちの人
監督?脚本家?が言いたいことを言うためだけに存在する装置になっている。
大事なことしか言わないが人が見えてこないから、大事なことしか言わない便利な人間と化している。

不可解な描写
・七森君がベランダに出るシーン
付き合って、白城さんの部屋に上がってベランダに行くシーン。
部屋に上がるまでの過程をカットされているから、男性の加害性を謳っている七森君の感性を疑ってしまう。
ベランダに行きたいと宣い、白城さんがサンダルを探しているうちにそそくさと裸足でベランダに出る七森君。
白を基調とした、清潔感のある部屋に上がらせてもらっているのに裸足でベランダに行くな。
きっと、麦戸ちゃんなら、ベランダに毎日出るからサンダルは置きっぱなしにしているのになぁみたいな顔をしていて、不愉快。
ぬいぐるみと話す優しい人なら、自然と風を愛するはずだよね!!みたいな感性を白城さんに押し付けるな。
それは攻撃だろと、何故自分を人畜無害だと信じれる??

・麦戸ちゃんが七森君の家に来るシーン
七森君が何故金髪なのか、原作を読んでも分からない。
男性の加害性に自己嫌悪なのに見た目を怖くする矛盾。
じっくり話すと喧嘩になるから、対話を選ばなかった白城さんと対象的に描かれる対話を求める麦戸ちゃんを見て、喜ぶ七森君。気持ち悪い。
自分から告白した癖に、全てのアクションを白城さんに求めている。
対話したらしたで、ちょっと上からのアドバイスを入れてくる七森君。
ステレオタイプの男性像過ぎて、同性でもかなり引く。
それで、自分は何も悪いことをしていないという顔が何故できるのか?
無意識の巨悪。
アンチポデス

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