コマミー

熊は、いない/ノー・ベアーズのコマミーのレビュー・感想・評価

3.8
【熊はすぐそこに迫っている】



まさに"ジャファル・パナヒ"渾身の一作であると言えるだろう。
自分の"映画監督人生への危険"を省みず、本作に関しては"自らカメラの前に立ち"、"イランの現状"を訴えた作品となっている。この作品の発表の後、間もなく監督は拘束されたが、イランでは着々と"様々な自由が奪われていく"のを本作で節々と感じたのだ。

本作では"2つの場所"で物語が展開される。
一つは、パナヒ監督演じるパナヒ監督が滞在している"小さな村"で、村民の"婚礼の儀式"が行われている。
二つ目は、パナヒ監督の"撮影班"が滞在している"ある都会"。撮影班と離れた場所にいるパナヒ監督は、パナヒ監督同様に"出国が禁止されているカップル"が"国外逃亡"を図る模様をドキュメンタリー形式のドラマとして撮影していたのだ。
一見最初は、何事もないように捉われるかもしれないが2つの場所でその何事もなさが"徐々に拗れ始める"のである。
パナヒが滞在している村では例の婚礼儀式が行われているのだが、村民の1人にパナヒ監督は「カメラでその模様を撮影してほしい」とお願いする。パナヒ監督自身も村の子供達を撮影したりするが、このカメラとパナヒがロケ地探しの中で訪れた"密売人の道"に侵入したのを機に、村の平和は拗れ始めるのだ。
一方、撮影班のシーン。実はここは隣国"トルコ"で、そこで欧州へ逃亡を図るカップルをドキュメンタリー形式で撮っていた。こちらの拗れた原因は至ってシンプルで、彼氏の方が彼女の為に"偽造パスポート"を作ってきたのだが、"彼女のしかなかった"ので、2人で一緒に逃亡したい彼女は"悲しみと怒り"に震え、国外逃亡の行く末も暗くなる。それに加え、撮影班が2人の服装や髪型に仕込みをしたのも彼女の気に触れ、逃亡計画は絶望的に終わる。そして、結末はどんどん暗い方に進んでゆく…。

本作での「熊」の意味が、物語が進むにつれ不思議とだんだんと想像できるようになるのがさらに震えた。パナヒ監督がいる村のシーンでは「しきたり」が存在していて、それを破ればその村民は立ち待ち"悪い方"へと進んでいくのだ。婚礼の儀式を迎えたばかりのカップルが、パナヒ監督の持っていたカメラ(実際には事件の証拠がない)によって一気に悪い方向にどんどん進んでいくのが本当に見ていられなかった。
一方、トルコでのシーンだが、これは彼女さんの"言い分"が痛いほど伝わった。彼氏さんも彼女さんの事を思っての行動だったのだろうが、「やはりそうなるよね…」と言うのが痛い程感じる。その悲しみに拍車をかけた撮影班に少しだけ怒りを覚えてしまった。

つまりこの「熊」と言うのは、「眼差し」…その眼差しは広く言えば「イラン政府からの目」である。

イランの国民はみんなこの"無意味で過剰な眼差し"によって振り回され、本当の意味での自由がどんどん奪われていく事を、パナヒ監督としての眼差しとして映していった作品だったのだ。
更に背筋が凍ったのは、思い返してみたら"日本も他人事ではいられない"からだ。自民党の人間によって着々と近づいていく不自由さが、イランの現状と近いのだ。イランの今は、日本の未来になるかもしれないのだ。

最後のパナヒ監督の眼差しは、"決意"みたいなものを感じた。

ジャファル・パナヒ監督がまた映画を作れる日はいつ来るのか分からないが、もしこの先可能ならば、これからもイラン政府に訴えを投げかける作品をどんどん残してほしい。

日本国民である私たちも、漏らさず見たほうが良いと思います。
コマミー

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