solo

熊は、いない/ノー・ベアーズのsoloのネタバレレビュー・内容・結末

4.0

このレビューはネタバレを含みます

どこまでが事実でどこからが創作なの?
あと熊って何ーーー?

とか考えてて、で、パンフ読んだら"フィクションとノンフィクションのハイブリッド"って書いてあったからこれが監督の意図だったんやとわかり、おいすげぇなとなった。
……パンフレットの俳優の来歴読んで(あ、俳優の人なんや)安心するて中々ないよな。
熊というのは村の外からの脅威のこと…らしいです。これ実はまだピンと来てないんよな…もっと広義的なものかと思ってた…たぶんそうだと思ってる。

映画としてはジャンル≒ドキュメンタリー。今のこのご時世に観る、しかもイランという中東の国の映画であるからか観終わったあとに席からしばらく立てないくらいの衝撃があった。監督のパナヒが実際に投獄された以外はたぶんドキュメンタリー映画というフィクションのはずなんだけど、あんまりにリアルで。いやリアルっていうかほんとに事実部分とフィクション部分の境界が曖昧で頭がバグる感じ。
あとこれ題材が題材なだけに社会批判の映画なの?と思ってたんだけどそうではない…ぽい。パンフ読んだ感じだけど、あくまで"イランの社会"が主題のドキュメンタリー…であると思ってる。
厳しい検閲があったり、パナヒ自体は20年映画撮ることを禁じられていたり、いわゆる弾圧されてはいるけど…思想の弾圧というか、これは表現することの弾圧だと思う。勿論どちらとも自由が保証されるにこしたことはないけど、思想の弾圧と表現することの弾圧はこう…全く別物じゃないか?
思想は映画の色を決める要素というか、主義主張とかメッセージで、表現することというのは映画の色云々の前になんていうか人間の本能や生きる力のみたいなもんで…ぶっちゃけ抑えることなんかできるのか、という。
政治的な?高い壁を越えて世に出たからこそイランの映画はイラン映画として代替のない唯一無二のものであり、評価をうけていると思う。
何が言いたいかっていうと決して"可哀想な人たちの国の映画"ではないと感じたんよなぁ…
そりゃ日々ニュース観てたら女性蔑視とか宗教問題とか色々解決すべき問題はあるかもだけど、別世界の我々の基準でそれを遅れているとか不幸とか可哀想とか…少なくとも映画の中ではそういう風に観たくないんよな。ただ他人事だと無関心を決め込んだり全く見えないブラックボックス状態にしてしまうのはやっぱりだめだと思うし、それは国としてやばい状態だと思う。高い壁を、もしくは弾圧をこえて来た映画、基、現実の断片が語るものは力強い。パナヒ程の映画腕があれば尚更。そして哀れみで観るものではないなと。
"遊びで映画撮ってんじゃないんだよ!"って俺なら言う。
#映画#映画好きな人と繋がりたい#最近観た映画#shimabitの映画歴#熊はいない#ジャファルパナヒ
solo

solo