とむ

バルド、偽りの記録と一握りの真実のとむのネタバレレビュー・内容・結末

4.2

このレビューはネタバレを含みます

Netflix配信作がちゃんと映画館でも上映してくれるの、ホントにありがたいよなぁ。
久々にミニシアターに足を運ぶきっかけになってくれたので感謝感謝。


イニャリトゥ作品は「バードマンあるいは、〜」を劇場で観て以来完全に虜になってしまっているんだけど、
その時に印象的だったのは「映画好きな友人たちの評価」と「実家に帰った時に偶然見た親兄弟の評価」とでまるっきり、ほぼ180度と言って差し支えないほど真逆だったこと。

つまり、観る人に思考させる映画というか、
それこそ「TENET」公開当時に「能動的に観る映画」という表現をさせてもらったけど、
ただ「観ている」だけだと映画の真の目的には気がつけない類のジャンルの映画ということだった。
まぁ、バードマンに関してはそれを抜きにしてもめちゃくちゃ面白い映画だとは思うけど。

それに対して今作は、まさに「見てるだけ」だとマジで腹立つレベルでなんもわからない類の映画だと思うし、そういう人だと多分途中で見るのをやめてしまうだろうから最後の「親切心」も受け取れずにLOSELOSEの関係で終わってしまうだろうと思う。


と、色々な予防線や「観る人を選ぶ」的な発言をした後でこんな事を言うと鼻につくと言うか、俺カッケェ感が出てしまって物凄くダサいのだけれど、ンめちゃくちゃ最高の映画だったなぁと思いました。

ぶっちゃけ、見てる最中は理解するのに必死と言うか「やべ、最後までみて何も理解できなかったらどうしよ」と思っていたのは正直に告白しますが、それにしてもひとつひとつの画力が強烈ですよね。


どことなーく全体に漂う「生」と「死」の匂い。
メキシコって「死者の日」って祭りの文化があるくらい生死感に対して積極的な印象があるので、多分そこを切り込んだのかなと。
びっくりするくらい現実と(ネタバレになるのであえてこういう言い方にするけど)夢とのブリッジがなくて、
普通の世界と奇妙な世界との境目が曖昧なのも、生と死の境目っていうのが如何に脆弱な境界線で成り立っているか、というものを描きたかったのかなぁとなんとなく夢想する。
本当に「夢想する」くらいしか言い様がないくらい奇妙で珍妙でそれでいて幻想的な映像なんですよね。
(あくまで幻想的なだけであって、美しいわけではないのが肝)

あと、冒頭で苦笑するくらい身も蓋もない描き方をしてる赤ん坊周りのシーンに関しては、多分シルベリオが「辛い物事を直視できず、ファンタジー的なフィルターを通してしか見ることができない」というのを表してるんだと思うんですよね。
だから、本当は生後一日半しか生きなかった赤ん坊が「このひどい世の中に生まれたくなかったから、バルド(子宮?)に引き篭もっている」と幻視していたし、
まるでウミガメが子を海に迎え入れるかのように見送ったのかな〜と。
見送るシーンなんかはなんだか笑っちゃうくらいシュールな映像と裏腹に、なんだか泣きそうになりながらみていた。

そしてラストの展開に「え、そうなるのか」と言う驚きを禁じ得なかったのも事実ではあるけど、前述した「生と死の境目の曖昧さ」的な面を描くのであればこの展開が妥当なのかもなーと思いました。
ラスト、広大な砂漠には似つかわしくない寂しげな街灯が消えた瞬間、全てが消失するラストも、
やっぱりなんとなく泣きそうになりながら見てしまった。


アルフォンソ・キュアロンの「ローマ」、
そしてエミール・クストリッツァの「アンダーグラウンド」なんかも生死感の表し方として近いものを個人的に感じました。

あとは構成で言うとデヴィットリンチの「マルホランド・ドライブ」が一番近いでしょうね。


また何度か見たいなぁ、と思った時。
そういえばこの作品はNetflix配信作品だ!と言う事を思い出し、一度映画館で観た後は自宅でも再鑑賞できるという最大限のメリットがあることに気がつきました。
Netflixの一番正しい鑑賞の仕方、見つけちゃったかもなぁ。
とむ

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