ベイビー

バルド、偽りの記録と一握りの真実のベイビーのレビュー・感想・評価

4.4
2006年の第59回カンヌ国際映画祭にて「バベル」で監督賞を受賞。2015年に行われた第87回アカデミー賞で「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」が作品賞、監督賞を含む計4部門を受賞し、続けて翌2016年の第88回アカデミー賞で「レヴェナント:蘇えりし者」が2年連続の監督賞受賞という快挙を達成。

そんな凄い受賞歴を持つアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の最新作。「バルド、偽りの記録と一握りの真実」というタイトルからも分かるとおり、作品としては難解なお話。

毛色としてはタイトルからでも伝わるとおり「バードマン あるいは無知がもたらす予期せぬ奇跡)」と近いテイストな作品だと感じました。

まず「バードマン」を振り返ると、物語の中では“演劇”を“リアル”、“映画”を“まがい物”として扱っていました。映画俳優として下火になった主人公のリーガンが、演劇の世界へ踏み出すことから、“リアル”と“まがい物”の世界の狭間で悩まされる様を斬新に描き切った作品となっています。

それでいうと今作では、主人公シルヴェリオの職業をジャーナリスト兼ドキュメンタリー映画製作者とし、彼の中で“真実”と“偽物”の二面性を作り出そうとしています。

シルヴェリオは自分の作品のことを「ドキュフィクション」と称していましたが、この“真実”と“偽物”をない混ぜにしたような言葉は、直接自分自身を指す言葉にも聞こえてきます。

ほんの少しの生地でパンは発酵し、形を変え大きく膨らみながら焼き上がります。それと同じようにほんの些細な事実だけが膨れ上がり、勝手に尾鰭が付いて真実と違う噂話や、あるいは歪曲された史実となって伝わることもあります。

またSNSでも小さな“事実”だけを切り取り、“真実”をおざなりにして、アクセス数を増やそうとしたり、承認欲求を満たすためだけに“嘘・偽り”の情報がネットに溢れ返っています。

それで言えば、自分の過去の記憶も自分の中で都合よく膨らませたものかも知れません。ほんの一握りの真実を隠すため、偽りの記録を重ねて行くように…



バルド (bar do): 仏教における中陰、または中有といい、死んだ後、次の生を受けるまでの間の状態を言うチベット語。 喪家では物忌みの期間として忌の生活を営み、 一般に中陰の終わる日 (満中陰)は四十九日。(ネットより引用)

この現世から来世に渡る間、最後に人が見るべきもの、見たがるものは、きっと偽りのない真実だと思います。偽りのない自分を見つめ直し、過去に贖罪し、穢れのない綺麗な魂をもって新しい自分に生まれ変わる…

その願いは本作で登場するメキシコからの移民たちの姿になぞらえられているようで、人がもしこのように来世を渡るのなら「この旅路の果てに行き着く楽園では、ほんの少しでいいから今よりマシな自分になっていたい」と、誰もが希望を抱くのでしょう。

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とにかく今作の圧倒的な映像美に驚かされます。終始画角を支配し、意のまま“偽り”を映し出す監督の辣腕ぶりには見事としか言い表わせません。

一貫して広角レンズと65㎜フィルムで撮影された映像は常に美しく、大人数のエキストラを使って作り出された“実”がおりなす画力と、最先端のCGで作られた幻想的な“虚”が入り混ざり、今作品の主題である“偽り”と“真実”との境界線を絶妙なバランスで曖昧に崩してくれました。

そして「バードマン」でも使われたワンカメラワンカットが随所に展開し、序盤のスタジオに入ってからの長回し(途中の楽屋の鏡に撮影カメラが映り込まないのは「バードマン」と全く同じ)や、中盤で行われたダンスシーンの計算し尽くされたカメラの動線と数百人に及ぶ演者の動きには観ていて感服してしまいます。映像に妥協が一切見られません。

こんなに良い作品なのに、思ったよりMark少なめで残念。正直言って難しい内容だけど、たくさんの人の感想を聞いてみたくなる作品ですね。

ああ、個人的にはスクリーンで観たかったなぁ…
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