自称イニャリトゥフリークでありつつ、遅ればせながら観た。
バルドを観て、
アモーレスペロスからビューティフルまでが一区切り、
バードマンからこのバルドまでがまた一区切りなのだろうと理解した。
ビューティフルと重なる部分がありつつ(父、家族とその喪失、揺らぎ曖昧になるアイデンティティ とはいえこのあたりはずっとイニャリトゥが扱い続けるモチーフでもあるが)、
バードマンのような商業的世界の関わり、レヴェナントのような自然の描写など、ビューティフル以前にはなかった視線が内包されてる。
イニャリトゥが、自身の家族の喪失、そして家族自身にどう向き合うのか、
自分は父なのか広い意味での作家なのか(あるいは両方ともハリボテでしかないのか)、父であり作家であることでもたらされる喜び
と苦悩に向き合った頭の中を覗いたような映画だった。
私自身が父になって初めて観たイニャリトゥ映画がバルドだったので、もう一度各作品を最初からみてみたいな。
また、バルドが一区切りだとするならば、イニャリトゥの映画監督としての「第3章」がどこにむかうのか、また楽しみである。