寝木裕和

サントメール ある被告の寝木裕和のレビュー・感想・評価

サントメール ある被告(2022年製作の映画)
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フランスで実際に起きた、セネガルにルーツを持つ女性による、海辺に自分の幼女を置き去りにして溺死させた事件についての映画。

アリス・ディオップ監督は、実際の裁判で使われた言葉をそのまま役者に台詞として話させて、さらにそれぞれの演出もほぼ無しで、かなりドキュメンタリーに近い撮り方を選んだ。
この作品の中で傍聴している人々は、実際のその法廷でも傍聴していたのだそうだ。

そこまで、法廷での場面にリアリティーを持たせておきながら、観ている側は、結局なぜ被告であるロランス・コリーが自分の幼子を殺めたのか、はっきりとは分からない。

つまりはそこのところの「答え」を詳らかにするためのリアリティーではないということだ。

分からない。
それなのに、心を鷲掴みにされて、永遠にずっとその片隅に残り続けるであろう作品というのは、たしかに稀にある。

この作品はまさに、それ。

分からない… でも、やはり気になってしまう。
なぜ?
どうしてそこに至った?

監督自身はインタビューでこう言っている。

「彼女は実際の法廷でこう述べた、自分自身の言葉を聞いて欲しいのもある。
そしてもう一つ、我が子の声をどうか、紡ぎとって欲しい、と。」
それを聞いた瞬間、落涙を禁じ得なかったと。
にも関わらず、こうも言っている。
「法廷で私は感じた、目の前の被告は、無感情な、冷たい、サイコパスであると。」

… 監督自身が、相反する印象を、この被告から受けていたというのはどういうことなのだろう。
それともこのことは、相反するものではないのだろうか?
被告がアフロ系であるということに対する社会からの差別によって… または幼子を独りで育てる母親としてどんどん孤立したことによって… それとも彼女が母親、父親、叔母と反目して家族の関係に亀裂が入ってしまったことによって、徐々に自分の中のサイコパス的側面を肥大化させていってしまったというのか。
そこに、ただただ自分の子どもを慈愛を持って育てようという気持ちを凌駕する、ほかのなにかがあったというのか。

作中、ほぼ無表情で、鋼鉄の面を被ったようなロランス・コリーなのだけれど、法廷でのとある瞬間、唐突に主人公ラマの方を向いて、なんとも言えない微笑みをこぼす。

監督自身を投影した存在であるラマは、ホテルに戻って泣き崩れる。

あの瞬間、ロランスとラマは繋がったのだと思う。誰にも理解されない孤独な恐怖の中にいた二人。

そして、監督自身が法廷でなぜ涙を流したのかも理解できたような気がして、このシーンで心が震える思いがした。

鑑賞後にいろいろと整理をしたくなるのだが、ゆっくりもう一度考えてみるだけの価値が大いにある作品。
寝木裕和

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