崇高なテーマを美しい映像とアート映画の装いで描けば、なんでも許されると思うなよ。
劇中、被告人が「呪いをかけられている。」と言い、中盤にヒロインが「もう嫌!」と泣き叫び、終盤その母親が「疲れた...」と寝言でつぶやくが、それはこっちのセリフだ。
ドキュメンタリー映画を撮っていた監督の劇映画第一作らしいが、作劇が致命的に酷い。
40分を超えた辺りで、早く終われ・・・と念を送り始めた。
実際の裁判記録を基に脚本を書いたらしいが(脚色はしている)・・・フランスの刑事裁判ってこういう風に行われるんだ・・・と興味深く見ていたのは初めの10分だけ。
とにかく法廷劇の基本を心得ていないらしく、ドラマとして全く盛り上がらず、実際に裁判を傍聴したら普通は退屈・・・という事実を突きつけてくれる。
それならばドキュメンタリーの様に腰をすえて裁判を描写してくれるのかといえばそんな事は無く、尺の多くを色々とこじらせたヒロインの物語に充てるので、裁判自体は中途半端な分量。
しかも虚言癖のある被告なので、実際に何があったのかという事もボンヤリとした霞の中に包まれて、判決も霧の彼方に・・・。
もう冒頭から"髪を刈られた女性"とか、マルグリット・デュラスとか、親になれな母親、母娘のこじれた関係、それに起因する妊娠した事への不安、『王女メディア』の視聴...等々、これでもかと言うくらい分かりやすいアイコンを天こ盛りするので、この作品が社会における女性の困難を描く映画だという事は明白なんだが、盛りつけ方が野暮なので、どんどんと白けていく。
不愉快なのは、この裁判自体も監督による主義主張の具材でしかないという事。じゃなければ、もっと焦点の当て方が変わるはず。
象徴的なのはクライマックス。
最終弁論で弁護人が「女とはキメラで...」などとカメラに向かって女性論的な事を長々と語ると・・・法廷内の女性達がメソメソ泣き始め、被告人と弁護士が感情を爆発させて抱擁・・・勘弁してくれよ・・・。
あのな、大きな枠組みで物語を捉えるのは一見賢そうに見えるけど、それって傲慢な振る舞いなんだぞ?
一人一人の違う人生の物語に、それぞれに悲しみや喜びがあって、そこに寄り添って描く事が人間としての優しさとか、豊かさなんじゃないのか?それが作劇なんじゃないのか?
ふざけんじゃねぇぞ(怒)。