ラウぺ

蟻の王のラウぺのレビュー・感想・評価

蟻の王(2022年製作の映画)
3.9
1965年、蟻の研究家で詩人・作家でもあるアルド・ブライバンティは同棲していた教え子の青年エットレの家族に踏み込まれ、エットレは矯正施設に入院させられ、アルドは同性愛の教唆罪で逮捕、起訴された。アルドと同じく共産党員だった新聞記者のエンニオは裁判の行方を記事にして同性愛に不寛容な社会に訴えるのだが・・・

映画の冒頭で日本の配給元の配慮なのか、矯正施設での“コンバージョンセラピー(転向療法)”の様子に刺激の強い場面があることに注意を促すクレジットが表示されますが、その”治療”とはつまりは電気ショックによるもので、これは見た目が厳しいというより、このような非科学的としか思えない方法で同性愛が治るなどと考えた当時の認識にショックを受けるのでした。

映画はエットレが連れ出された場面から二人が出会った1959年当時の様子を映し出す。
インテリで開明的なアルドは教育者として熱心であるのと同時に激情に駆られやすいタイプらしく、エットレの兄はアルドが貸した本の解釈の幼稚さをなじられ、その後も些細なことでアルドと対立する。
対してエットレには丁寧かつ親切に指導して、エットレはアルドに心酔し、次第に親密さを増していく。
エットレの兄はエットレに殊更丁寧な指導をするアルドの様子から「それが奴の手口だ」と怒りを露わにし、母親にもそのことを強調する。
アルドの様子は確かにあるところではジャニー喜多川が若いタレントを手懐けた手法にそっくりだったりもするわけですが、結果的に二人は相思相愛の関係になる。
ここで描かれるエットレの兄や母、そして裁判での検事や裁判長の様子は同性愛に対する当時の認識が性的に異常で倫理に反し、汚らわしいもの、という、旧来の倫理観そのものであり、今日的目線からすると半世紀前の世間の認識がいかに旧態依然としたものだったか、改めて愕然とするのです。
『イミテーションゲーム』でのアラン・チューリングの受けた非人間的扱いなどからしても、本作で描かれる同性愛に対する世間の認識は決してオーバーな表現とはいえない、一般的なものだったのだと納得せざるを得ないのです。
逆説的に今の時代はまだ様々な偏見に満ちているとはいえ、ここで描かれている世界より少しは前進しているのかな、と思えるレベルには進化している、ということなのかもしれません。

エットレやアルドが直面する理不尽の数々は、観ていてかなり辛いものがあり、その中にあって新聞記者のエンニオが今日的感覚で二人の関係が異常なことではない、と認識しつつ、記事を書く様子に少しばかりの安堵を感じることが出来るのですが、それが社会全体に拡散していくことに繋がらないもどかしさは、やはり大きな絶望感に繋がっていくのです。
裁判の様子や周囲の人々の心の動きを丁寧に、やや距離感をもって淡々と描く展開のせいもあり、映像の美しさとは別に、決して良い方向に向かわない物語の重苦しさが終始付きまとう。
裁判から半世紀以上の時が流れて、このような悲惨な目に遭った人々がおそらくアルドやエットレの他に無数にいたであろうことを想うと、観終わってからもなんとも言い難い気分を引きずらなくてはならないのでした。
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