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夏の向こうへのEegikのネタバレレビュー・内容・結末

夏の向こうへ(2022年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます




24/4/6(土)
海外の実写映画監督でいちばん好きなジェームズ・ポンソルトの最新作。
あらすじから察して昨日『スタンド・バイ・ミー』を(初めて)観ておいて良かった。まさかこんなに露骨にオマージュするというか、あれを「現代版」に焼き直そうとした意趣返しだとは。
中学生になる前の最後の夏。男子4人のひと夏の冒険モノだった『スタンド・バイ・ミー』に対して、こちらは女子4人。あっちはあまりにも「男社会」の物語だったことに苦言を呈したけれど、それに応えるようにこちらはほぼ女性しか出てこない、女による女のための物語だった。発見する死体だけは男のまま。銃をぶっ放すのも、夜に「炎」を囲むのも引用要素。
抑圧的で歪な「父親」の承認をそれでも求めて旅をして立派な「男」になるのが『スタンド・バイ・ミー』だとすれば、『夏の向こうへ』は愛はあれど過保護だったり離婚別居だったりでやっぱり支障を来たしている「母親」と最終的に向き合って和解していた。そして子供が親から受け継ぐのではなく、逆にいま「母親」の大人たちにだって12歳の少女だった頃がある、という面を強調する。親・家庭から飛び出して子供たちだけで秘密の冒険をするプロットは同じでも、着地点はかなり異なっているのが印象的。彼女たちの母親同士がこれで意気投合して新たに「友達」になっているのがいいですね。独り立ちの男と共感・連帯の女、とかいうジェンダーバイナリーステレオタイプを再生産してしまいそうになる。
あと、「死体」の話題から始まるひと夏の冒険とはいっても、こちらはいうほど田舎・自然のなかを旅しておらず、住む町のバーや学校、バーガーショップや自宅を巡っているのがまた良かった。そもそも、死体の発見が最後か最初か、という点から反転させているし。大人になってから「回想」形式で物語られる『スタンド・バイ・ミー』とは異なり、最初の一人称モノローグも含めて子供である「現在時制」で語られる点もすごく好き。
スマホやTikTokやYouTuberといった現代のデジタル・インターネット関連トピックがナチュラルに盛り込まれていたのも好ましかった。
日本の夏とアメリカの夏を比較したときに、向こうの「夏休み」は年度が切り替わる境目の期間なのがかなり重要なんだな、と今さら気付いた。だから同級生との別れや進路の話になる。こっちでいう春(休み)の別れ(出会い)の切なさ(期待感)と、夏(休み)のノスタルジックなエモが合体しているようなものか。その実態は日本でしか暮らしたことのない身ではちょっと想像しにくい。
『スタンド・バイ・ミー』は名作だ~~!という確信とともに観終わりながらも、男社会ノリがあんまり合わなかったのに対して、『夏の向こうへ』は「女社会」ノリといっていいのかは分からないが、かなり自分好み……でも客観的に名作だとはまったく思わない、正直あってもなくてもいい映画ではあると感じながら観終えた。そういう、慎ましくこじんまりとした手触りはジェームズ・ポンソルト監督らしくて好きだけれどね。

あの死体の素性や行方について投げっぱなしで終わったことは全く気にならなかった(というかすっかり忘れていた)けれど、一連の直接的なホラー描写(?)の意義は果たしてなんだったのか、必要だったのか……。『ミツバチのささやき』的な、子供特有の幻視で済ませてしまっていい?
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