ヨーク

ドキュメンタリー映画 岡本太郎の沖縄 完全版のヨークのレビュー・感想・評価

3.9
面白かった。まぁ映画の内容は『ドキュメンタリー映画 岡本太郎の沖縄 完全版』というタイトルそのまんまで、かつて岡本太郎は日本人としてのルーツやアイデンティティを探るために国内旅行をしまくっていたらしいんだけどその一環として訪れた沖縄での写真や映像を主な素材として、現代の沖縄の映像と交互にそれらを映していくというドキュメンタリー映画である。
まぁぶっちゃけ俺はそこまで岡本太郎が好きとか詳しいというわけではないんですけどね、でも映画は面白かったですよ。たしか1959年と1966年の二回に分けて岡本太郎は沖縄旅行したんだったかな。「沖縄の中にこそ、忘れられた日本がある」「沖縄で、私は自分自身を再発見した」とは岡本自身の言であるが、実は俺も若い頃に沖縄にハマってたことがあるんですよね。いやまぁ未だに行ったことはないんだけど歴史的背景とか北野映画とかCoccoとかの影響でにわか沖縄ファンだったことはあるんですよ。あと日本人の起源の一つとして南方起源説というのもあってそれでいくと沖縄は心の故郷的なポジションにもなりうる可能性もある。ま、その辺の事実関係がどうかは分からんですけど確かに魅力的な土地であり文化圏でもありますよね、沖縄。そういう沖縄が描かれているから本作もまぁ面白く観られるドキュメンタリー映画であるのは間違いないですよ。
しかし正直に言うと前半30分くらいまではよくある沖縄ドキュメンタリーなノリでちょっと退屈ではあったんだが、中盤辺りから久高島のイザイホーにスポットが当たっていくともうそこからずっと面白かった。イザイホーに関しては専門に書いてる書籍があったりネット上でも普通に紹介されていると思うので詳細は省くが、50~60年代のまだメディアが相互に情報発信できるような時代ではなかった頃にこの土着の信仰に基づいた祝祭的な行事をカメラに納めていたということと、その映像のピュアさは驚嘆に値する。なんかこれ観れただけで良かったなって思ったよ。
そこにあるのはどんどん近代化、情報化していく社会をこれから迎える人たちの姿で、神秘やそれに伴う秘匿というものがこれからどんどんその力を失っていくだろうという予感のようなものを感じさせる人々の姿なんですよね。沖縄全体とかではなく本作でフィーチャーされている個人としてはメインビジュアルとしても岡本自身が撮った写真が使われている久高ノロという1959年当時で90歳くらいだった女性が代表格なのだが、多分彼女らは岡本が取材した当時の時点で土着の伝統的な信仰なんかが失われて行っているという実感と、それが遠くない未来には途絶えるという感覚も持っていたのではないだろうかと思う。繰り返すが俺は沖縄行ったことないけど、多分今の観光地化された沖縄にはそういうかつての風土を感じさせるものは少なくなっているんじゃないかな。本作ではその過程のようなものが描かれているのが大変興味深かったですねぇ。
つまり岡本太郎が自己を探る日本旅行の中の沖縄編で見つけたことって、連綿と続く過去からの伝統もやがて終わることにはなる、だけどそれがそこにあったという事実はなくならない、ということの確認なんじゃないかなと思うんですよね。それが上記した「沖縄の中にある自身の再発見」ということなんじゃないだろうか。まぁ次の代がどうなるかは知らんけど、少なくとも今自分がここにいるということはそれまで何かが続いてきたのだ、というシンプルなことですよ。本作の中でそれが端的に表れているのが終盤辺りに描かれる久高島の旧盆の様子で、あのシーンは非常に良かったですね。高校野球かなんかのテレビ音声が聞こえる室内で三世代くらいにわたる10人ほどの家族が一緒にメシ食ってるだけなんだけど、あれ凄いグッときましたね。特に厳格な儀式とかあるわけじゃなくて単に家族で集まって適当にメシ食ってる感があって良かった。次の世代はもう島に帰ってこないかもしれないけど…っていう切なさもあるにはあるんだけど、でもまぁ元気で楽しくやってるならそれでもいいのかもなっていう気にもなるんですよね。
その旧盆以降のシーンはちょっと蛇足感があって、そろそろ終わってもいいんじゃね? とか思いながら観ていたんだが全体的には面白い映画でしたよ。唐突に流れるシガー・ロスはちょっとびっくりしたけど気候こそ北欧とは真逆だが何となく土着の神話や神秘を感じる土地としては意外と合っていたのかもしれない。多分、岡本太郎のことを知らなくてもそれなりに楽しめる映画ではあると思うし面白かったです。
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