くまちゃん

ファミリアのくまちゃんのネタバレレビュー・内容・結末

ファミリア(2023年製作の映画)
3.4

このレビューはネタバレを含みます

神も仏もいない、理不尽なリアル。
夢を持て、救済を求めるな。
幸福とは、伸ばした手の先で泡沫と散る幻影の事である。

ブラジル移民という日本が持つデリケートな問題を描くに当たり、演技未経験の当事者達を起用し、周囲をベテランで囲う事でフィクションでありながらフィクションからの脱却を試みている。

ただ、移民問題だけではなく、アルジェリア人質事件や、飲酒運転事故、ヤクザを手玉にとる半グレなど、情緒的なタッチの中にかなり雑味が混じり過ぎて、一つひとつの要素が深く掘りきれていない。
これら全てを丁寧に抽出するのであれば、あと一時間は必要だろう。

今作の舞台となった愛知県豊田市郊外にある保見団地は全住民の半数以上が日系南米人で占められ小さなブラジルと呼ばれているらしい。
1980年代後半。ブラジルは経済難により海外へ脱する者が多かった。いわゆる出稼ぎである。当時日本はバブルの渦中で、豊田市自体大手自動車メーカーが近接していることもあり外国人登録者数は急増していった。それはリーマンショックまで続く。
では実際の生活はどうだったのか。
当事者曰く、言葉はわからずとも日本人に歓迎されていないのは肌で感じていたという。
子供が喧嘩をすれば理由も聞かず、日系ブラジル人側が責められる。
あからさまな差別。
実際に集団リンチを受け、移民の子供が亡くなる事件も発生した。
異物を排除しようとする働きは古今東西、時代を問わず普遍的に存在する。
今作における一般的な日本人とブラジル人の分断と交流をもう少し丁寧に描くことも出来たのではないか。

人間関係における最小の単位が家族なら、それは人種や国籍や血族を超越する絆のことである。

学はアルジェリアでプラントの建設に携わっている。そこで出会った女性ナディアと結婚した。
もうじきプラントは完成する。
ナディアのお腹には新しい命が宿っていた。
父誠治と三人で暮らそう。
まさに幸せの絶頂。
それは悲劇の前触れ。
建設プラントはテログループに占拠された。日本でもニュースで取り上げられる。
人質救出を最優先としながら、要求は呑めないという日本政府。
国際社会における日本の立場、テロ事件への対応の難しさ。
大金を持って国会を訪ねた誠治が簡単に中へ通されたのは疑問が残るが、誠治の行動は理解出来る。
政府の対応は後手に回り、結果、学とナディアは死んだ。
彼に救われたという学の同僚が誠治の元へ訪れ、学への感謝と遺品であるタブレットを渡す。
新たな家族ができるかもしれなかった誠治の心中は想像を絶する。
それでも息子の最期が人質の開放という英雄的悲劇だったことが唯一の救いか。
いや、誠治の中では人の役に立った息子を誇りに思う気持ちと、なぜ息子とその妻がという気持ちがないまぜになり壮絶な葛藤があったのかもしれない。

半グレのリーダー榎本は交通事故に巻き込まれ妻と娘を失った。
それはパーティ帰りのブラジル人が乗るバス。運転手も飲酒しており強制送還された。
榎本は復讐のためブラジルに渡るが運転手は既に死亡しており、榎本の憎悪の矛先は獲物を失ってしまった。
剥き出しの刃が如く狂気じみた光を放つ榎本。愛用するは彼に似合わないピンクのマイボトル。これは娘の遺品であり、彼自身、過去を拒絶し、受け入れられていない証左にほかならない。全てのエネルギーを憤怒、憎悪、狂気に凝縮し、暴走するヘイトクライム。

誠治は単身乗り込み榎本と交渉する。
手下の自白を録音したICレコーダーを提示しマルコスとその恋人エリカから手を引けと。
妻と娘はブラジル人に殺されたと訴える榎本に理解を示す誠治。
だが、絶望を味わった人間に安易な理解ほど癇に障るものはない。
逆上した榎本はナイフで誠治を刺す。
「お前になにがわかる」
誠治は榎本を掴み離さない。激痛に耐えながらも笑みを浮かべる誠治。

榎本の辛さは痛いほどわかる。
誠治も不条理に家族を失ったばかりだ。
それでも多くを語らず自身を襲わせることで理不尽な連鎖に終止符打つ。
金品を渡しても根本的な解決にはならず、身を挺して大切なものを守る誠治。
その姿はアルジェリアでギリギリまで人質開放を先導し命を落とした学と重なる。失ってなお、その精神性に親子の絆を感じることができる。

マルコスには夢があった。夢を持つのは怖いと言いながら語ってくれたのは家族とエリカの幸せ。

闇から解き放たれた二羽の渡り鳥は誠治を尋ねる。
その表情は晴れやかで陶器職人として誠治を継ぎたいそうだ。
誠治は静かに受け入れる。彼らは文字通り家族になった。

移民問題だけならこの帰着で大いに納得できる。素晴らしく安堵できるラスト。
しかし、榎本は結局救われていない。
本当の意味で全てを失った。
移民側に救いを与えるならば、移民に奪われた側にも焦点を当てるべきではないのか。
榎本の父親は反社会的勢力と繋がりがあることから榎本の立場は変わらないだろうが特定の人種が標的にされる事はなくなる。

今作はクリント・イーストウッドの「グラン・トリノ」に慣りきれなかった印象が残った。
くまちゃん

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