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少女は卒業しないのSQURのレビュー・感想・評価

少女は卒業しない(2023年製作の映画)
3.0
「学校はセカイのすべてでした」という言葉を受けたときに感じるこのモヤモヤとした感情はいったいなんなんだろうなと思いながら観ていた。

"学校"を価値あるものとしているのは2つの要因だと思う。ひとつは構成員のそれぞれが、そこに価値が宿っていると信じているということ。そして、構成員のそれぞれが価値のある"学校"という物語の登場人物を演じること。そうして、砂上に楼閣が築き上げられる。
卒業シーズンに見る桜は美しいけれど、誰も桜を見ていない。桜が帯びる物語を見て心を動かしている。もっと言えば、桜を見て心を動かす人物を演じている。
この再帰的で自己指定的な価値の体系の中で、個は埋没していく。個人の、体感的な真実であるはずの、怒りや悲しみ、不安、信念、喜び、それまでとそれからの時間。そういったものが、上述した"仮初の価値"と混合していき、当事者さえも自分の個を捉えられなくなる。
この映画はそうした物語の砂漠の中からそっと個をすくい上げるような映画だ。

そして、その物語の構成員となりえなかった人もまた世界には存在する。セカイの外の存在は、この映画では描かれない。周辺の人物という立ち位置を与えられている少女でさえ、この"物語"の登場人物を演じている。
これはだから、そういったセカイからこぼれ落ちた人たちの、私や私たちのための物語ではない。
私のための映画ではなかった。

学校をセカイのすべてだと言ってのける人を前にしたときのこのモヤモヤは、憧れと嫉妬の入り交じった生きられなかった人生に向けられたなにかだ。
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