昭和に多感な時代を過ごしたアタクシは
フランス映画を観るたびに
甲斐バンドの「ポップコーンをほおばって」が
脳内で必ず再生されるのだけど
ポップコーンを食べながら映画を観たことはない
蛇足ながら例によって
著作権ほっかむりで歌詞を引用させていただくのである
「映画を見るなら フランス映画さ」
フランス映画が突然登場人物を景色みたいに突き放して撮るの好き
「若かった頃の君と僕との 想い出話は」
アタクシは職業柄
高齢婦人の想い出話を聞く機会が多いのだけど
わりと無意識に盛られているのである
それを差し引いても
マドレーヌさんの経験は相当にむちゃくちゃなのである
「僕等は飛べない鳥じゃなかったはず
翼を広げたら きっと飛べたんだ」
あなたはこれから羽ばたく
人生はこれからよ
とマドレーヌさんも言っていましたね
「別れる為に君を抱きしめたんじゃない
燃えつきるほど二人 生きちゃいないじゃない」
マドレーヌさんの大切な人は
どんどん〈**ネタバレ**〉のだけど
それでも笑顔で若返ってる彼女は相当にタフです
「大都会 そんな痛み傷ついた街に
ほんとの君は なぜ死んでしまったの」
高齢者と接する仕事をしてると
施設に入所してすぐに〈**ネタバレ**〉っていうケースは
ある意味理想的だなぁと思うのである
「ポップコーンをほおばって
天使達の声に耳を傾けている」
帰ったらベスト盤じゃなく
『英雄と悪漢』の一曲目で聴きたい
なぜ日本映画だととうてい許されないこんなベタが
フランス映画だと感動してしまうのだろう
構造的な問題があるのかな?