脳内金魚

インスペクション ここで生きるの脳内金魚のネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

この映画を見ていて思ったのが、軍隊が国防の要であるのは当然として、セーフティネットとしての面も非常に強いのだと感じた。主人公フレンチは、16歳からホームレスとなっている。と言うことは、学歴も職歴もないことになる。普通の社会(会社)であれば、保証人もいるか分からない、いわば反社会的かもしれない人物を雇ったりしない。だが、軍隊では一定の基準さえクリアすれば、彼のように学歴も職歴もない青年でも入れるのだ。(実際、どの程度米軍で前歴/前科を調査するのかは分からないが)
彼のように家族に恵まれないなど居場所がないものにとって、ある意味無条件で受け入れてくれる軍隊と言うのは格好の居場所なのかもしれない。思うに、ギャングやストリートキッズなど、元々上下関係が厳しい世界にいると言えるし、それこそ理不尽な要求だってあるだろう。軍で一番大事なのは、脊髄反射で上の命令に従うことかもしれない。その点で、彼らはある意味「基礎」は出来ているのかもしれない。国としても、犯罪行為に走るくらいなら、その力を合法的にふるえる軍に入ってくれた方がマシなのかもしれない。居場所(衣食住)が欲しい彼らと、軍人が欲しい国と、Win-Winな関係なのかもしれない。そう考えると、軍=セーフティネットでもあるのかなと思ったのだ。
さらに、功績をあげれば褒め称えられるのだ。フレンチが、上官になぜ軍に入ったのか聞かれた際、「ヒーローになれるから」と答える。よく聞くと原語は「somebody's hero」と言っていた。フレンチは、誰でもいいから自分を肯定的に認めて欲しいのだ。でも、ゲイである自分は、母親似すら認められなかった。そんな自分がどうしたら他人に認めてもらえるか。誰かのヒーローになれば認めてもらえるかもしれない。でも学歴も職歴もない自分がどうやって?唯一門戸を開いていたのが軍だった。軍なら、自分のような社会のつま弾き者でも受け入れてくれるし、成果を出せば称えられ。そのために、ときに命の危険もある軍に入ったのなら、それはどれ程悲しいことだろうか。自分の存在を認めてもらうために、自分の命を担保にしているようなものだ。

軍でゲイとばれたバレたフレンチは、周囲にきつく当たられるようになる。そんななか、唯一ニュートラルだったのが、先の上官だ。だが、好意を告げたフレンチに、彼は「ゲイ、ストレート、白人、黒人は関係ない(訓練にそれは持ち込まない)」と言う。一瞬素晴らしいと思いかける。だが、それは人を無個性にすることと同義だ。自分を構成する要素ゆえに、悩んだり傷ついたり、嬉しかったりするのだ。それを無視することは、イコール問題の解決ではない。単なる見て見ぬ振りだ。フレンチはゲイであることを込みで、母親に認めて欲しいのだ。
ついつい、マジョリティ側は「そんなの関係ないよ」とか「気にしないよ」と、あたかもそれが最善であるかのように言ってしまう。だが、彼らは「気にしない」ではなく「気にして欲しい」のだ。例えば、わたしは体も性自認も女性だが、男性に「自分は気にしないからここで着替えていいよ」と言われたとしたら。それは寛容ではなく、単なる無神経だ。こうやって、無自覚に傷つけられてきたのだろうなと、この一連のやり取りから気付かされた。

余談だが、物語ラスト、無事訓練を修了したフレンチは海兵隊の一員となる。どこでそれを聞き付けたのか、修了式に母親がやってきて、あたかも今までも誇りに思っていたかのようにフレンチを褒め称える。
だが式のあとの懇親会で、フレンチが変わらずゲイであると知るやいなや、激昂し彼を罵る。それに対し、上官始め同期生たちが彼を庇うのだ。あれだけ、フレンチがゲイと分かって、嫌悪も露だったのにだ。なるほど、あの過酷な訓練を共に乗り越え、これから本当に命を預け合うことになる彼らには、もう絆が芽生えているのか。あの理不尽なしごきも、こう言った一体感を生むためのものなのかと、若干そら恐ろしいものを感じてしまった。
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