1975年、イタリアで起きたチルチェーオ事件を基にした作品。
“人”の本質とは善なのか悪なのか。
世の中には人の道を踏み外した人達が多くいます。
とりわけ本作で扱われた事件のような常軌を逸した事件を起こす人間とはどんな人間なのか。
脳の機能そのものがおかしいのか。
環境によって作り上げられた、もしくは壊された人格の持ち主なのか。
そしてその異常は正常とどのような差異の中で発現してしまうのか。
考えてみると宗教や道徳の教え、法が存在しそれが社会の基盤となっているのは、人間が本質的に悪だという前提、もしくは簡単に悪に堕ちてしまうという事が前提になっているような気がします。
本事件を始め凶悪事件が社会を震撼させ、人々を怒らせ、社会の在り方そのものに影響を与えてしまうのは、法などに守られ“善”である事が当たり前の社会の中において、人間の悪という本質を暴かれた気がするからなのではないかと思いました。
教育や宗教や道徳が人間が自分たちを律するために自らがはめた枷なのだとしたら、人とは本質的に悪であり、しかしそれを律する理性の中にこそ善が宿り人を人たらしめているのではないかと思います。
犯罪、戦争、ハラスメント、暴力などなど…人社会が闘っているのは常に人間自身なのかもしれません。