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ヴィーガンズ・ハムのAirconのレビュー・感想・評価

ヴィーガンズ・ハム(2021年製作の映画)
3.7
「ヴィーガンの肉を売る肉屋」という、、、「反ヴィーガン的」だが、ある部分ではこの映画こそが「ヴィーガン的」な「平等」を違うバイアスでやっている状態にも見える。
戦国時代みたいな、かなりアッパーなバイアス上の倫理観で、この夫婦とヴィーガンは同じことを言っている。
つまり、動物と人間を極限まで対等な関係にしたら、人間を食うのも動物を食うのも倫理的に変わらないものになる。
動物が可哀想だと思うなら、「動物を人間並に可哀想”ではなく”する」or「人間も動物並に可哀想にする」の2択。
「人間を食べない」という前提上で、「ならば動物も食べない」が導かれるのがヴィーガンで、この夫婦の「動物を食べる」→「だから人間も食べる」は、ヴィーガンと矛盾しない。

この構造、こういうことをグロいとか可哀想とか思うこと自体が、人間が動物にしていることとの違いを考えざるを得ない仕掛けになってるから、そういう意味でも「ヴィーガン的」。
動物には普通にしてるんだから。
酷い扱いをしている金儲けビジネス肉屋がライバルだし。



実際ヴィーガンの主張が当たり前になる未来は全然あると思ってる。
それが良いか悪いかは別として。
なぜなら「今の倫理観」の延長線上で、突き詰めていくと次はそうなるだろう価値観だから。
どこかで「もっとゆるくてもよくね?」が出ないと当然そうなる。
だけど今は、厳しければ厳しいほど、倫理的であれば倫理的であるほど強いと、非倫理的反倫理的なことは許さない方が良いとみんなが信じてるから、それだと時間軸に対してそういう発散方向のグラフになる。
今のところまだ大衆レベルで言いだしてないだけで。
犬や猫を病院に連れて行く人だってたくさんいる世の中で、ペット以外の他の動物なら人間のためにいくら苦痛を味わっても、殺しても良いのかという、当たり前の問い。

自分的にはもっとゆるくて良いと思ってるので、つまり、人も死んでもいいと思ってるので、この映画ほど強い運動状態は嫌だけど、「より安定」が良いとは思っていない。

逆に「より安定していく方が良いことだ」と当たり前に思っている人で「ヴィーガンは間違っている」と言っている人の方が、反対のベクトルをどう処理しているのか気になる。
もちろん「ちょうどいいところ」はあるにしても、そうすると「度合いの話」になるので、そういう言い方になり、強く言うことはできないはず。
「絶対に肉は食べる」「ヴィーガンは頭おかしい」くらいの強度で言っていたら、他の倫理的なこと、ましてや違う生物に関する倫理的なことなんて言えないはず。



牛肉で1番美味いのは去勢した牛だということから「性転換した人間」を狙う。
黒人もいく。
もちろん酷い描写ではあるんだけど、逆に「性転換した人間」だから酷いと思ったり、可哀想だと思うことに疑問が生まれるようなトラップ。
当然全員が同じようにかわいそうなのに、謎にアファーマティブアクションが適応されそうになる、現代の倫理観のマクロ視点癖。



「なりゆきで肉屋で働くヴィーガン」と「なりゆきでヴィーガンのフリをしている肉屋」の出会い〇

世界で1番美味しい牛肉、神戸牛はストレスのない環境で育てられる。
「神戸ヴィーガンを作る!」◎
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