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福田村事件のSQURのネタバレレビュー・内容・結末

福田村事件(2023年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

言葉による説明は抑制され徹底して演技によって表現しようとしている。映画を観れば、それが「悪」によってなされたものではなく、理解可能な結果であることがわかるように、一歩ひいたところから映されている。
その中で、過去に日本人が韓国人を虐殺した事件についての解説だけが全体から際立って"説明的"に語られる。そこに制作者の"作為"を感じてしまうほどに。このような表現は一般にあまり良い手法とは言えない。映画全体のリアリティを損ねてしまうリスクがある。そして、この映画においてもう一箇所やや説明的に感じる部分がある。それは報道が果たす役割についての部分だ。この部分も他の部分とは違い断定的に語られる。その内容は「報道には責任がある」という作中の新聞記者による報道に対する覚悟だ。映画全体から際立った「説明的」部分が、この「報道に対する報道者の覚悟」に重なる。覚悟を語る映画を撮ることがそのまま報道に対する覚悟を伝えている。
非常に消耗する映画だった。人生をかけてなにかを表現しようとしている人を前につられてこちらも応えようとしてしまうようなそういった疲労感があった。

村長が「記事にしないでくれ。自分たちはこの村でこれからも生きていかなければいけないんだから」といったことを言う。人道主義を望んでいた彼が、ついに折れてしまう瞬間だったが、彼の気持ちと映画を観ているときの私の気持ちが重なったのを感じた。指摘しないでくれ、そんなこと言われたってこれからも私たちは人間として生きていかなければいけないんだから、とそう私も思ってしまった。

最後に。なぜ朝鮮人に対する虐殺を直接描かず、日本人が殺された事件を題材としたのか。観終わってしばらく悩んだ。おそらく、それが最も今の私たちに伝わる表現だと考えたからなのではないだろうか。
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