【時代】
実は、この作品「J005311」全編を通じて、1番印象に残っているのはノイズだ。
ただ、ノイズとは云っても、圧倒的に多いのは車が走り行き交う音だ。
これは、ここに登場するような若者にだけでなく、僕たちの周りに溢れる情報や意見、心配事、罵詈雑言なんかのメタファーなんだろうななんて考えた。
成蹊大学の伊藤昌亮さんが、社会的な弱者を擁護して権力と対峙している人やグループに対し、ネットのSNSで過度な攻撃を頻繁に繰り返す者にはある特徴があって、それをカテゴライズして”弱者男性”と呼んでいた。
グループとしては反・反権力で、反権力は権力と対峙して努力をせずに利益を得ようとしていると見做す一方で、自分たちは救済の対象にならないと不満を募らせる。
ただ、それは合計すれば大きな数のように思えるが、相対的には決して多数ではなくて、いわゆるノイジー・マイノリティの部類じゃないかと考えたりする。
きっと映画を観ても、作中のこんな若者はダメだとか、批判を述べるのは、少し間をおいて考える心に余裕のない人にありがちな意見かもしれない。
(以下ネタバレ)
なぜ、一台目のタクシーで諦めたのか。
断られたからといって、2台目、3台目にチャレンジ出来ただろうになんて言う人もいるだろう。
それは、レンタカーでの道程で少しづつ明らかになって行く。
そして、向かう場所も。
行き先を言えば、明らかに断られそうな場所だ。
短気でひったくりをしてしまう山本。
内気で生きる希望を見出せない神崎。
共通するのは何だろうか。
観念的な助言や意見、道筋を大上段に振り翳しても、具体的なソリューションを決して提示しない僕たちの社会が重くのしかかっているのではないのか。
最後の晩餐になっていたかもしれないのは、シュガー・トーストのように見えた。
これも妙にリアルだなと思った。普段から食べているものを欲しくなるのだ。
接点のない若者が接点を見出したり、理解し合うだけでは不十分ではないのか。
彼らはこれからどうやって生きて行くのだろうか。
※ ちなみに、樹海の遊歩道を外れて、そうした場所を探す人は、左側にそれる人が大部分なのだそうだ。
陸上競技のトラックが左回りであるのもそうだが、心臓が左についているからなどという説もあるが、理由は分からないらしい。