シシオリシンシ

機動戦士ガンダムSEED FREEDOMのシシオリシンシのレビュー・感想・評価

機動戦士ガンダムSEED FREEDOM(2024年製作の映画)
4.8
最上級のファンサービスとカッコよさに極フリしたエンタメ性全開の超・超・楽しいガンダム映画!
ガンダムの劇場版と言えばTVから一歩踏み込んだ壮大なテーマ性とか大人が考えさせられる背伸びしたドラマ性とか、どこか上品で崇高な方向に舵を切りがちだが、本作はとにかく観客(特にSEEDを応援し続けたファン)を楽しませることを至上命題としているため深いテーマ性や考察の余地はあまり無いが、そのぶん映画としてはすこぶる面白い。この作風はSEEDの劇場版として大正解!

キラ・ヤマトはDESTINYでは超然とし悟りを拓いたようなキャラで人間味が希薄だったが、本作ではラクスが遺伝子上の運命の相手・オルフェに取られてしまうことへの不安、という情けない男性的な悩みが最大の足枷になっていて、彼の人間味を大いに感じられて良かった。
端的に言えば本作のキラはダサいのだ。けれどそれが良い。
ラクスに裏切られたと思い込み、あの(?)アスランに正論と拳で説教されて、ずっと心に秘めていたスーパーコーディネーターという強者ゆえの孤独や傲慢さを臆面もなく皆にさらけ出すところは、見たくなかったけどずっと見たかったダサくて情けなくてけれど等身大の青年としてのありのままのキラ・ヤマトだったのだ。
「力だけが僕の全てじゃない!」と言いながら力以外のものをクルーゼに示せなかったキラ。
「覚悟はある。僕は戦う」とデュランダルに啖呵をきったものの、終わりのない戦いの日々に磨耗し、迷いの渦の中で自分が"戦う"こと以外の価値を見いだせずにいたキラ。
そんなキラが見つけた"力"以外の強さ、それは
「ラクスの愛だ!」
というのが単純明快で素晴らしい。
本作は様々な愛の讃歌を高らかに歌っている。種族間の憎悪と過去の憎しみでがんじがらめになっている世界で、前に進むための最も重要なファクターが"愛しあうこと"なのが混迷から流転し単純な解に回帰したようで感慨深い。
カッコつけずに情けなくも愚直に愛する相手を求めるキラの姿こそがダサくて、でも彼史上最高にカッコいい姿なのである。
キラの思いとラクスの思いが両思いになったときに爆誕した新たなる翼、マイティーストライクフリーダムガンダムの神々しき姿と、SEEDとフリーダムを代表する名曲「Meteor」が流れ出す演出には純度100%の涙が思わず溢れるほど高鳴った。
これまでのストライクフリーダムは「決して被弾しない速さ」が特徴だったが、マイティーストライクフリーダムはまさかの「不動の翼」。光の防壁で攻撃を一切通さず真っ直ぐに進軍し、ラクスのSEEDによるありえない数のマルチロックから翼を震わせ雷撃兵器を放ち、承認式ロックを解除することで発動する額からの超光学兵器ディスラプターは禁断の力と呼ぶに相応しい強さを誇る。
複座式のコックピットが対比となっていてキラとラクスは寄り添うように隣に座り、対するオルフェはラクスの方しか見ておらず後ろに座るイングリットは彼を愛し見つめているが彼が後ろを振り向くことはないという、見事に残酷な対比構造になっていた。
ずっとお互いを思いながらもプラトニックな接触しかしてこなかったキラとラクスだったが、ラストシーンで浜辺でスーツを脱ぎ捨て、生まれたままの姿で体を添わせ唇を重ねる。OP等で暗喩として描かれていた裸体の姿が、明確に"愛"を直喩として描いているのもまた感慨深い。
赤面しちゃいそうなド直球な"愛"の表現を照れずにやってのけるところに作品としての確かな成長を感じてしまうのだ。

アスラン・ザラはこちらの予想の斜め上の方向で大活躍し、ともすればネタキャラになりかねないギリギリのラインでカッコよくオイシイ場面をさらっていくので色々ズルいキャラになっていた。
乗機がまさかのズゴック・ありえないズゴック無双・ストライクフリーダムへの替え玉乗り換え(しかも強い)・ズゴックの中からジャスティスが!? とネタ的にも実力的にも最強格のバランスだったので、迷いのないアスランは最強という言説を本当に証明してて大いに笑った。
また本作のアスランはキラの親友であり最大の理解者である姿がフィーチャーされ、キラの迷いに正論と鉄拳制裁で分からせるところは胸熱であると同時に、「お前にだけは言われたくないよ!」とこれまでのアスランの言動からそういう気持ちが同時に湧くのも面白い。(シンがまさに「あんたが言うな!」と言わんばかりの形相で睨んでて笑う。日頃の行いって大事)
最終決戦の時も相手をすかした感じで煽ったり、精神攻撃を逆手にとり自分のハレンチな性癖をさらして攻略したり、遠くはなれたカガリとの連携で色んな意味でズルい戦法を使って勝利したりなど、振り返ると今作最大のエンジョイ勢過ぎて終始ゆかいなヤツだったなあという印象が強く残った。(こいつはクロスアンジュ時空から来てない?)

シン・アスカは私の最推しにして長らく不遇主人公の名を欲しいままにしていたが、本作ではその雪辱を晴らしまくる大・大・大活躍!!
序盤からキラの片腕としてイモータルジャスティスを駆り、隊長に頼られたいと頑張る姿が健気で可愛らしい。(アスランと違って馬のあう上司なんだなあと分かる)
アスランがキラを鉄拳制裁してたときも真っ先にキラを庇おうしアスランに噛みつくなど、狂犬っぷりと忠犬っぷりの差が激しいところもシンらしい。
かつての乗機、デスティニーガンダムを前にした調子に乗った悪ガキみたいな笑顔も、ジャスティスよりもデスティニーに愛着持ってるところも、デスティニー好きとしては非常に嬉しい場面。
さらに本作のデスティニーはファクトリー製であり、関節フレームが赤く発光してたり、ルナマリアの乗るインパルス用のデュートリオンビームを撃てたりと、相方のルナへの愛を体現したような性能で泣けるのだ。
そしてなんといっても、シンが駆るデスティニーが見せる一騎当千の超絶無双は「ずっとずっとこれが見たかったんだー!!」と18年分の雪辱を見事晴らしてくれて泣いた…。本当に泣いた…。
心を読む精神攻撃に対しては「何も考えてねえ!」攻撃をすることで予知を凌駕し、心を操る精神攻撃にはステラの魂の加護がシンを守るというファン泣かせの切り札を見せ、当然私は号泣!
「こいつ闇が深え!」違う!愛が深いんだ!!
そしてSEED発動からの分身刹法、そして剣・大砲・掌砲、機体のスペックのすべてを余すことなく叩き込んだ連続の必殺撃でネームドキャラ4機を落としきる圧倒的な強さ。
さらには戦略兵器たるレクイエムをムウから託された超長距離砲で陥落させるなど、最終決戦におけるトップエースは間違いなくシン・アスカであろう。
かつてのシンは過去の憎しみと平和な世界を望んだがゆえにマイナスの方向に利用されており本来の彼を見ることが少なかった。
しかし本作では年相応の無邪気さや愛すべきお馬鹿っぷりがシンの自然体として描かれている。彼の周囲には尊敬する上司がいて、気の合う仲間がいて、名実ともに女房役となったルナマリアとの愛があり、シンを加護するステラの愛が今も息づいている。彼にこんなにも満ち足りた未来があったなんて…とシン推しの私は夢見ていた以上の未来を実現していた彼に心から「おめでとう」と伝えたい。

他にもイザークとディアッカの搭乗機がデュエルとバスター+ミーティアとか、トダカやニコルやバジルールといったいなくなった人が遺したものを感じられるシーンとか、ドム三人組(特にヒルダ姐さん)がめっちゃ良いキャラしてるとか、ルナとアグネスの殺し合い然としていないキャットファイト味のあるMS戦とか、ミリアリアやサイやカズイの現在が見られたりとかとか…とにかくグッときたポイントを上げればキリがないほどSEEDへの愛に満たされた映画なのだと噛み締めている。

本作はSEEDの総決算であり、もっと言うなら福田己津央監督の総決算でもあったのだと改めて思う。
当初の予定どおりDESTINYから約2年後に続編が作られていたなら、おそらくもっと真面目で重くてシリアスな作風の映画になっていたと思われる。
しかし『クロスアンジュ』という「下世話で俗っぽいけどエンタメとしてメッチャ面白いSEEDのセルフパロディ」を経たことの影響が本作には確実に見られるのだ。クロスアンジュで得た経験が本作の「肩肘張らないで見られる楽しいガンダム映画」というテイストを活かすことになったと勝手に思っているし、それは多分正解な気がする。

『機動戦士ガンダムSEED』シリーズの最新到達点が『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』であることの喜びと感謝をリアタイ世代の視聴者として高らかに伝えたい。
この一つの終着点であり新たな始まりを予感させるガンダムシリーズ屈指のエンターテイメント作品に最大の賛辞を。
シシオリシンシ

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