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正欲のkuuのレビュー・感想・評価

正欲(2023年製作の映画)
3.6
『正欲』  映倫区分 G
製作年 2023年。上映時間 134分。
劇場公開日 2023年11月10日。
第34回柴田錬三郎賞を受賞した朝井リョウの同名ベストセラー小説を、稲垣吾郎と新垣結衣の共演で映画化。
『あゝ、荒野』の監督・岸善幸と脚本家・港岳彦が再タッグを組み、家庭環境、性的指向、容姿などさまざまな“選べない”背景を持つ人々の人生が、ある事件をきっかけに交差する姿を描く。
啓喜を稲垣、夏月を新垣が演じ、佳道役で磯村勇斗、大也役で佐藤寛太、八重子役で東野絢香が共演。
第36回東京国際映画祭のコンペティション部門に出品され、最優秀監督賞および観客賞を受賞した。

横浜に暮らす検事の寺井啓喜は、不登校になった息子の教育方針をめぐり妻と衝突を繰り返している。
広島のショッピングモールで契約社員として働きながら実家で代わり映えのない日々を過ごす桐生夏月は、中学の時に転校していった佐々木佳道が地元に戻ってきたことを知る。
大学のダンスサークルに所属する諸橋大也は準ミスターに選ばれるほどの容姿だが、心を誰にも開かずにいる。
学園祭実行委員としてダイバーシティフェスを企画した神戸八重子は、大也のダンスサークルに出演を依頼する。

今作品の残す余韻は、じんわりとやけど心の奥深くにまで届いた。
登場するさまざまなキャラの中で、マイノリティとされる人々に踠く姿に、小生もかなりヘンコ(変わってる)やし社会に生き辛さをを感じてる一人として共感をうっすら覚えた。
実際、目の前に彼らが居て云ったなら陳腐になるんやろけど、"俺もあんさんらの味方やで!"なんて胸ん中で思た。
今作品は、朝井リョウの同名小説の映画化、ダイバーシティ(人種や国籍、性別、宗教や価値観など、異なる属性を持った人々が集団で共存する状態、多様性で、"お台場 ダイバーシティ東京 プラザ"って紛らわしい場所もあるがこちらは関係性なし。。。)の時代にダイバーシティが本当に理解されとんのか、それとも単なる見せかけなのか、という批評を含んだ秀作だと思う。
故に先に書いた
"俺もあんさんらの味方やで!"
は軽々しく面と向かっては云えないなぁとも思う。
稲垣吾郎が演じる検事の寺井啓喜は、ガチの形式を重んじた保守派。
小学生の息子が不登校になり、インフルエンサーに影響されて自分も動画配信をやりたいと云い出しても、断固として否定し、拒否し、拒絶する。
息子が何でそないしたいかを理解しようとしない。
ガッキーが演じるのは、広島県福山市(かな?)のショッピングモールで働く寝具販売員の桐生夏月。
彼女は、女性の幸せは結婚して子供を育てることにあるちゅう旧式ザクのような "普通 "の考えを一方的に押し付ける人々に反発を覚える。
明日も一緒に生きていきたい人との間に溝を感じる佐々木佳道を磯村勇斗が演じる(ゲイの役からこないな役までホント演技の幅が広い)。
桐生夏月と佐々木佳道はかつて同じ中学校に在籍し、『水』にまつわる思い出を共有していることがわかる。
この3人に加え、男性恐怖症でありながら、歪んだ世界観を持つ男性ダンサーに心を寄せる女性がいて、彼らの人生が少しずつ近づき、交錯していく。
最も印象的だったのは、佐々木佳道が語った、今作品での命題とも云える、
"明日も生きていたい"
ちゅう人の本能や欲との棲み分け方。
誰だって未來にできるだけ長く生きたいし、もちろんバリバリ健康に生きたいと思う人が大半やと思う。
そのためにゃ、人は食事に気を配り、適度な運動をしなきゃならへん。
それが正しい、普通やと思う人には、桐生夏月と佐々木佳道のような人は理解しにくいんじゃないかと思う。
この二人を見ていたら、ふとアルベール・カミュの『異邦人』の主人公・ムルソーを思い出した。彼は、社会のしきたりに従わずに自分の性格に対してバカ正直に生きた男。 
ムルソーの言動を社会は許さず、ムルソーは社会によって抹殺されてしまう。
一般大多数の人々は友情や恋愛、そして、出世や結婚などに意味を見いだすが、ムルソーはこれらのことがらに無関心だと描かれていた。
ムルソーの無関心な性格は、『異邦人』のラストを考えるうえで重要な用件と同じように、桐生夏月と寺井啓喜の性格もまた、今作品では重要なキーワードとなってると思います。
余談が過ぎますが、ムルソーは多くのことに無関心な人間ですが、すべてのことに完全に無関心な人間ではなく、ムルソーが特に関心を持つのは、女の肉体。
夏月と啓喜はムルソーのような異性の肉体には無頓着みたいやが、彼らが関心を持つのは何か?なんて考えながら今作品を眺めると、中々文学しとるなぁと思いました。
夏月の他者とのズレも、啓喜と共通するもの。
そして、この社会には、イデオロギーであれ、性的指向であれ、生き方そのものであれ、そうした違和感を持ち、圧倒的多数の前で自分のアイデンティティをさらけ出すことができない人たちがいる。
そればかりか、パワハラの対象にもなってしまう。
今作品は巧みなストーリーテリングで、平然と普通の社会を装っている社会の暗部を引き出し、見せている。
ペドフィリア(小児性愛)、パラフィリア(性嗜好異常)、そして盗撮など、今話題の犯罪と絡めて描かれるこの物語には、"水 "が見え隠れする。 正義の旗を掲げ、そないな犯罪と断固として闘う検事への夏月の言葉、ここに真実があり、壁がある。
差別はいけないとか、みんな違っていいとか云うけど、結局、己にとっても常識の範囲外のものはその人にとって受け入れられるものではないし、普通ではないと切り捨てるという人間の醜い部分を突きつけられたようでぐさりときた作品でした。
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