このレビューはネタバレを含みます
多数派とは違うものに惹かれ、少数派であることに生きづらさを感じながら、多数派に理解してもらいたいと思い、やがて諦めた人たちの映画。
最終的に、少数派同士で繋がりができるものの、やはり多数派には理解されず。
という感じだろうか。
私は水フェチに共感はできないけど、理解はできるので、そんなに不寛容な世の中だとは思えないけど、どうなんだろう?
同じく、小児性愛に共感はできないけど、理解はできるので、こっちは社会に溶け込んで生きるのは大変だろうな。
自己完結できる欲なら、人の理解や共感が得られなくても生きていけるし、他者を巻き込む欲なら、人の理解や共感なくして円滑に生きていくなんて無理だと思う。
愛煙家とか、カラオケ好きとか、絶叫マシン好きは「どうぞご自由に」だけど、隣でタバコを吸われたり、カラオケで歌うことを強制されたり、絶叫マシンに無理矢理乗せようとされるとなると、話が別だ。
なので、水フェチと、小児性愛の性加害者は別物だと思うけど、同じフェチという括りで描かれているように感じたラストは、あれで良いのか?っていう疑問が残った。
それに、興味がないと共感はできないけど、興味がなくても理解はできるので、ちょっと登場人物を不寛容に描きすぎだった感がある。
せっかく問題提起をするなら、反面教師的に描くより、模範的な姿を描いてくれた方が、それに魅力を感じてポジティブに変わる気がするんだが、そういう誘導はしたくなくて、観客に感じて、考えてもらいたいってことなのかな。
まぁどちらにせよ、オセロの中心部にいて、白だ黒だと騒いでクルクルしているよりも、四隅のどこかにいて、頑なに自分を貫く生き方をしたいな。
してるけど。