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正欲のambiorixのレビュー・感想・評価

正欲(2023年製作の映画)
3.7
普通に学校に通って、普通に人付き合いをして、普通に大学に行って、普通に就職して、普通に結婚して、普通に家を買って、普通に子供を産み育てて、普通の老後を送る。そういう「正常」なライフコースのどこかしらでドロップアウトしてしまったり、あるいは社会がのべつに強要してくるこのライフコースそのものに対して息苦しさを感じている人にとって、本作『正欲』(2023)はたいへんに刺さりまくる映画なのではないでしょうか。現に俺は刺さりまくりました。「苦しいのはあなただけじゃないんだよ」「世の中にはあなたと似たような人がたくさんいるんだよ」と優しく声をかけてくれるような作品なのではないかと思います。ちなみに劇中には「水という物質に性的な興奮を覚える」なんというヘンテコなフェティシズムを持った人たちが出てくるわけですけど、このフェチの部分には、観客おのおのの性的嗜好や指向を随時当てはめながら見るのがよいかと思われます。
ところが、この映画も社会的弱者を描いた大方の失敗作の例に洩れず、それこそいじめられっ子のヒロインがイケメンの男子とくっついて救われる『かがみの孤城』(2022)のようなズッコケ欺瞞展開へと進んでいきます。物語の中盤、新垣結衣と磯村勇斗の2人は自殺をくわだてた者同士で連帯し合い、ついには同棲生活をはじめます。はじめて他者と心を通い合わせることができた彼らはとても幸せそうです。なんだけど、これは結局のところ、冒頭に書いた正常なライフコースとやらを追認していることにはならないか。俺の目には、作り手たちが「世の中には生きづらさを抱えてる人がいっぱいいるかもしれないけど、やっぱり普通に生きることがサイコーだよね」なんつって、男と女が付き合ってひとつの家庭を築く、という既存の保守的な価値観を温存しているようにしか見えないのです。実際にガッキーとイソ村はんの擬似夫婦は「正常を装うこと」によって社会に少しずつ適応していきます。しかし、せっかく社会から疎外された人間をここまで突き詰めて描いたんだから、最後に何かしらオルタナティブな選択肢を示してほしかった。もちろんまったくないわけではないんだけど、劇中で自らの正しくなさと真っ正面から向き合った登場人物は社会からことごとく駆逐されていく。正常を装う以外のやり方で救われることは本当にないのか? そもそも正常を装うことすらできない俺のような異常者はいったいどうすればいいのか?
そのスタンスは稲垣吾郎と新垣結衣とが取調室でぶつかり合う、いわゆる「ガッキー対決」にいたっても微動だにしておらない。このくだり、演出自体はいたって真面目なのですが、よくよく見ると単なるマウント合戦にしか見えないという(笑)。最後は異常者サイドの愛や絆が正常サイドの標榜する正しさを打ち破ったように取れなくもないのだけれど、嫁と子供に愛想を尽かされたのはあくまで稲垣メンバー個人の落ち度なのであって、決して正常性一般が負けたわけではない。そこのところを勘違いしてはいけない。
個人的に大好きなのが、新垣結衣と磯村勇斗のセックスシーン。といっても本当にセックスをするわけではなく、そもそもセックスのやり方すら知らなかった2人が、普通の人たちが当然のようにやっているセックスの真似事をして苦笑するくだりなんだけれども、すごく良いんだよなあ、ここ。「異常」な人間の目から見る「正常位」なんてのはしょせん、死んだカエルのようなカッコをした女の穴ボコに男のチンポを突っ込んでアヘアヘほざいている滑稽な儀式にすぎない。そのくせ日中のこいつらは「は?セックス?そんなもん知りませんけど」みたいなツラをしておつに澄ましている。おお、なんたる欺瞞、なんたる悪徳よ。われこそが「正欲」の持ち主なのだ、と公言してはばからない連中はそのことに誰ひとりとして疑問を持っておらないわけです。水フェチなんかよりそっちの方がよっぽど異常じゃないですか?
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