ユウ

ウィッシュのユウのネタバレレビュー・内容・結末

ウィッシュ(2023年製作の映画)
2.0

このレビューはネタバレを含みます

1)2023/12/17 3D吹替 イオンシネマ幕張新都心
2)2023/12/18 吹替 ディズニーシアター TOHOシネマズ六本木
3)2024/1/12 字幕 シネマイクスピアリ
4)2024/2/26 吹替 TOHOシネマズ西新井

 「ディズニー」(会社名)100周年記念作品...。観る側のディズニー遍歴によってかなり捉え方に幅がある作品。作り手は意識的に過去作品の要素を取り入れ、観客はある程度のディズニー知識を蓄えた上であることが想定されている。併映の『ワンス・アポン・ア・スタジオ -100年の思い出-』(23)はまさに現代版『ハウス・オブ・マウス』(01〜03)のようなファンムービーに仕上がっていた。しかし、その流れでファンムービーを期待すると肩透かしを食らう。この映画はファンムービーではなく、老舗映画会社「ディズニー」に自己言及を映画であった。

 
 一般に定着したサブカルチャーについて自己言及する映画は例えば『平成仮面ライダー20作記念 仮面ライダー平成ジェネレーションズ FOREVER』(18)は「平成仮面ライダー」を振り返り作品内世界のライダーが現実世界のライダーを目の当たりにすると言う衝撃の内容、『バービー』(23)は「バービー人形」がもたらした功罪をこれまたバービーの世界と現実世界を通して過不足なく描いていた。このジャンルは会社のスタンスがモロに作品に影響し、これまでの振り返り、これからの意思表示に終始するのが定石。『ウィッシュ』もこの例にはまった映画であった。魔法の国ロサスと作品内における現実世界が常に背景として存在し、何か悲痛な過去を持っていると思われるマグニフィコが願いを持つ少女アーシャの思想とぶつかり合う様子を描く。人々の願いは我々がディズニー作品にしたいして抱いてきた幻想であり、マグニフィコは願いを管理し、異端と見做したものは排除する作り手の残酷さを描いている。スターは人々に宿る本来の願いであり、養殖の魔法使いが魅せる願いへの陶酔から目覚めていく話として受け取ることができる。18歳の時に願いを差し出すというのは大人になると願いを忘れてしまう年齢としてリアリティがある。ディズニーが今まで描いてきた願いへの反省、そしてそれに魅了され、陶酔していた我々の背筋を正す作品としての側面があった。

 しかし、謀反を起こすアーシャとその国のシステムを享受してなんの疑問も持っていない一般市民との関わりがほぼ描かれず、流石に納得し辛い。アーシャの行動理由もマグニフィコが敷いた宗教システムの上に成り立つおじいちゃんの願いが叶えられずに、願いを精査していることに対する疑問であるが、もうそれはロサスを出ればいいだけの話であって何もせずに願いを叶えてもらおうとしている民の自業自得というしかない。彼らは現実世界における挫折や絶望といったネガティブがない世界を求めてやってきた奴らで、前述した通りディズニー映画を観てるだけで何もしないその他大勢の一般人のメタファーである。この映画が帰着するところは願いを還すことであり、その願いとやらはマグニフィコによって敷かれたシステムから預かり精査するプロセスを飛ばしただけであり、願いは持っていれば叶うとされる世界が前提に描かれていることに於いては、現実世界のネガティブが存在する世界を否定しているため訳がわからない。願いを差し出す通過儀礼に反撥するアーシャら若い世代が、願いとは別の新基軸を見つけていく話なら納得できるが、ディズニーがディズニーなだけに願うことを否定できないことが玉に瑕。願う=叶うという方程式が成り立たっている世界観は嫌いじゃない(むしろ好き)が、その中身が重要でこの不条理な現実世界を凌駕するような突き抜けたロジックが一つでも有ればよかった。

 過去の作品から読み解くならば『アナと雪の女王2』(19)で同監督コンビが描いた友愛の多様性のようなものは本作にもあった。「アレンデール」という信じてきたものが実は閉ざしてきた歴史があり両親の死に繋がっていることを、それでも世界の理から自分のあるべき本当の場所を見つけていく素晴らしい内容だった。本作もマグニフィコの統治に疑問を持った者たちが自分たちの真実を掲げて団結していく様は良かった。そして騎士になりたかったあいつ(名前忘れた)への赦しまで描いたところはとても良かった。


 ディズニーはこれまでの作品を願いとして讃え、これからは皆一人がスターであるというメッセージを込めて送り出していくという気概が感じられた。良いところはたくさんあり、ミュージカルシーンは全部良かったがそれらを繋ぐ話が自分には全く受付られないものでこの点数になった。
 
ユウ

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