塔の上のカバンツェル

西部戦線異状なしの塔の上のカバンツェルのレビュー・感想・評価

西部戦線異状なし(2022年製作の映画)
4.4
1週間で3回ほど鑑賞しました。

第一次大戦を扱った映像作品は100本近く観てきましたが、この2020年代にドイツ発で超正統派のww1映画を観ることが出来るとは…。

マーベル映画でもお馴染みとなった、ドイツ人俳優ダニエル・ブリュールが数年前から製作に動いているのは知っていましたが、近年は英語圏の映画界で活躍する彼がドイツの外からの視点ではなく、ドイツ人としての視点でドイツ人が描いた原作をドイツ語によって映画化したというのは意義深くもあると思います。
プロデューサーとしても関わり続けてきたわけですから、それだけ映画化へのモチベーションも高かったわけでしょうし。

このような戦争映画に対して適切な表現かはわかりませんが、数年間待ち続けた甲斐があった、映画史における過去の名作のリメイクに相応しい、予想以上に重厚で素晴らしい作品でした。


【過去作との差異について】

本作は1928年出版のドイツ人作家レマルクによる著作を原作としています。
原著は、1930年代にハリウッドと、1979年にアメリカの放送ネットワークCBSによって映画/TV映画化もされており、特に1930年のハリウッド映画版は反戦映画の傑作として、語るに及ばずではあると思います。

本作と過去作品を比較する際に、1979年のCBS版は1930年版の忠実なリメイクであったわけですが、2022年に公開された本作はテーマ性は損なわずにドイツ人による100年越しの映像化に相応しい作品になっていると。

過去作との違いという点ではまず、冒頭に"ハイリンヒ"という主人公パウルとは別の登場人物のシークエンスが導入部で描かれます。
ここで戦争が既に泥沼に陥っており、名前がある誰かの名もなき中隊が人知れず大量の死者を出している…。
そして死体から装備を剥ぎ取り、新兵に再配備するという消耗品と化した人命の消費のサイクルを、短いシークエンスながら大量殺戮がシステムに組み込まれた20世紀の戦争の残虐性を象徴的に描いていて、見事な描写だったと思います。

他にも過去作との違いは随所に見られ、旧作は煉獄の如く名もなき兵士の死が次々に描かれていくわけですが、本作はいささかドラマチックに物語全体がしたためられています。

特に1930年版で象徴的な意味を持つ兵士たちを煽り立てる教師の代わりに、終戦交渉にあたる政府高官や華々しい戦争の幻想を捨てきれない将軍など、旧作で兵士たちに"国際政治なんて偉い奴らが殴り合えって決めればいい"、と言われていた人々の登場に尺が割かれてもいるわけで。

また、本作はパウルが出征する1917年から、1918年の終戦間近にジャンプするなど、時間経過にも変更点が加えられています。
旧作では開戦初期から戦中までのパウルの戦争を描くことで、"終わらない惨劇"という原作のテーマ性に即していたわけですが、本作では終わりが近いのに"辞められない戦争"という側面がより強調されていると。
製作陣にとって過去作の史実なリメイクではなく、人命の果てしない無意味な消費という第一次世界大戦を描く上でのテーマ設定に沿って、あえての意図を持って変更を行っているのではないでしょうか。

その意味で、1930年版の若者を煽る教師を再度パウルが訪問するくだりを今作では削っていますが、その分冒頭のハイリンヒのシークエンスが追加されたことで、続々と戦地に供給される若者たち...さらに言えば、1930年版のパウルの後に続く若者がこの2022年版のパウルなのだと。

パウル達若者が戦争に幻滅していく様を原作や過去作では、理念による反戦テーマから描き出していくわけですが、本作は「プライベートライアン」と同様の構造、剥き出しの暴力をまざまざと見せつけることで、視聴者に直感的な戦争への辟易を誘うようなアプローチを取っていると思います。
銃剣やヘルメット、スコップで殴り合い、相手の頭をカチ割り、戦車に挽肉にされ、火だるまにされるようなww1の泥の戦場が延々に流れることで、戦争って本当に嫌なもんだな…とストレートに感じさせてくるわけで。

本作の映像化におけるプロセス自体も相応に工夫を凝らしているのがわかります。

【映像美】

カメラワークの仕事ぶりは素晴らしいです。
濃密なシネマトグラフィのww1映画は近年だと、「1917」などがありましたが、色調は暗く抑えつつ、黄昏時の赤色の差し色や炎の灰を強調するカラーデザインによって、上品にも思える画が出来上がっています。

また、音響はDolbyAtmosで収録されているので、ヘッドホン推奨です。
冒頭の機関銃の流れ弾の重たい着弾音など、静と動の"音の書き分け"を体感すべきと。

あと、カメラワークで1点気付いたのが、映画というものは登場人物が画面の右から左に向かって移動していく場面はネガティブなものとして、逆に左から右に動くのはポジティブなものとして、画作りが意図して行われることがあります。
戦争映画だと左手に向かう動きは、象徴的な場面では死への直進、一方で右方向への移動は撤退=生存への道などを表していることがあります。
本作も兼ねがねこの法則に従っていて、冒頭の"ハイリンヒ"やポールの2度の突撃も左手に向かう突撃として描かれます。
これら同じようなシークエンスが描かれるわけですが、まさに繰り返される突撃がまるでループしているかのような、第一次大戦の無限に繰り返された無謀な突撃を記号的にも描いているのだと。


【独軍と第一次大戦という戦場】

本作のパウル達は、第47歩兵予備連隊に配属されます。
1917年のラ・マルメゾンから、末期のシャンピエールまでの期間の話なので、兵士たちはM16/17ヘルメットを装備しています。
旧作だと、開戦初期も描かれるのでピッケルハウベを被っていますが、今作では残念ながら見られず。

ww1大作だと近年は「1917」などが記憶に新しいですが、かの作品はまるで煉獄の如き戦場の、どこか黄泉の国のような戦場が描かれていますが、今作は生々しい現実路線での地獄の戦場を出現させています。

激しい肉弾戦の最中なのに、敵陣地の野戦厨房で思わぬパンとソーセージに貪りついてしまう…生死の駆け引きの中で食欲という人間の本能が優先される様や、トイレの最中に後ろで航空機同士の空戦が展開されるなど、兵士というものは24時間戦闘をしているわけでなく、飯を食べて、糞をして、眠気に襲われるという人間の営みを絶えず行なっているわけで、中弛みさせずに"人間味"を入れ込む手際の良さは、描写力の素晴らしさの一言。
近年のドイツのドラマ製作などで培われたノウハウが一気に昇華された感。

あと、コレだけは抑えておきたいのが、歯が黄色い!
半世紀も前で碌に歯も磨けない時代や場所にあって、"歯を黄色くする"というワンポイントの演出で、その映画の本気度を測るメーターと言うか、どういう現実ラインの作品なのか推し計れると言うもの。
普段我々が観ている時代劇の紳士淑女の俳優達のいかに歯がピカピカの真っ白なことか。

毒ガスや砲弾による呆気ない死も本作では描写されます。
砲弾で吹き飛んだ死体やガスマスクの着用時間をきちんとレクチャーされていない新兵たち…など、マスタードガスの恐ろしさ。

戦場の場面では、泥濘やスコップやヘルメットでの撲殺シーンなども全編満遍なく残酷に描かれます。
ツルハシや棍棒、鎌や釘バットなど、人間を効率的に殺せるために各陣営が創意工夫を凝らした第一次世界大戦の地獄が延々と画面に映されるわけです。

機関銃に薙ぎ倒される場面の人命の如何に脆いことか。1930年版からの圧倒的アップデートをこのシーンで1番に感じました。

Netfilixの巨額の予算でやっと骨太の戦争映画大作が誕生したという意味でも、ドイツ人が放つ本気の反戦映画という点でも2020年代の映画化にあたりベストな布陣で完成に漕ぎ着けれたのは、おめでとうと言いたいです。
Netfilix…中途半端な戦争映画を量産しないで、ちゃんと外様とタッグを組めればいい戦争映画が出来るじゃない…。

【仏軍について】

ww1映画でルノーFT-17ならよくお目にかかりますが、まさかサンシャモンが映像化されるとは…。
マニアックすぎる。
本作に登場するサンシャモンはキューポラが付いてるので前期型ですね。
搭載されている主砲も新型の75mm野戦カノン砲を確認できます。
中期型になるとキューポラは廃止されて車体上面が三角屋根に変更されるのと、主砲もよりオーソドックスな1897野砲に変更されています。
本作のサンシャモンの中身はBMP-1だそうな。足回りよく見る必要があるな…。

戦車は有刺鉄線を踏み越えて、兵士を轢き殺す兵器として登場したわけですが、文字通り地響きと共に人間を轢き殺す様は、戦車に蹂躙された当時のドイツ人の恐怖をコレでもかと感じられます。
地響きと共に逃げ出す鼠の大群と鉄の塊の恐怖。さながらモンスターホラー映画。

火炎放射器の恐ろしさというか、鬼畜の様相というか…。
元々火炎放射器は独軍がヴェルダンの戦いでフランス兵を焼き殺すために実戦で本格投入された兵器な訳ですが、本作ではその恐ろしさがまさまざと…。
火だるまだけは嫌だ。

仏軍司令官にフォッシュの姿。

アフリカ系仏軍植民地兵の数も多々あり。
フランス軍ポイント的に高い。

原作からして、パウルは自分が殺したフランス兵に「本当にすまない…」と取り乱す場面もあるなど、同じ血肉が通った人間として描写されていたわけですが、本作では文字通り顔のある兵士たちとして描かれるわけで。
ww2では程度の差こそあれ、イデオロギー戦争という側面からより相手陣営の"非人間化"を各陣営の教育で徹底したわけですが、第一次大戦では、1917年の仏軍大反乱やクリスマス休戦などを経て、お互いが無情な戦争に辟易しているとして、本作も描いています。


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【追記】

パウルは節目節目で親友の前ボタンを閉じる、敵兵の前ボタンを開けてあげる、戦友の前ボタンを開けるのが遅すぎた…。
最初と最後の戦場でのドックタグの回収の場面と同じくらい作品とキャラクターを象徴する機能を持ってそうだなと。

本作のラストの結末は、確かに1930年版のどれだけの人命が失われても"異常なし"の批評性は若干失われてしまい、作り手側の消えていった人々の鎮魂が勝ったのだと思う。
終戦から間もない時代と、第一次世界大戦から100年経ったドイツ人の受け取り方がより変わったのだと。

【2023/05/20追記】

既に15回以上は鑑賞した。
この映画は反戦映画ではなく、鎮魂映画であるという見方を一層深めている。
1930年版の反戦テーマを言語化して打ち出していたのに対して、本作の一貫して戦場のグロテスクさを視覚的に描くことに重点を置いていることについて見方も定まってきた。
反戦について本国ドイツでは戦後教育で基礎教養として徹底的に教育してきた自負があり、そこに一定程度の信頼も作り手は置いているんだろうなと。
一方で2022年という公開年は、ロシアによるウクライナ侵攻の勃発により、欧州人が自分ごととして、侵略戦争は悪であるのは100の真理として、侵略された側の抵抗する権利、継戦意欲に対してどう向き合うべきかというヘビーな問題提起を突きつけられた年であったわけで。
戦争そのものを悪として片付けるには、現実の戦争と国際社会のジレンマが身近にありすぎて安直な反戦テーマでは視聴者を納得させられないという作り手の達観も垣間見えるんじゃないかいと。
しかもyoutubeやsns、TVでガチのコンバットフッテージ、しかもww1ばりの塹壕戦で死体の山が築かれ、カメラの前で射殺されていく人間の映像を消費しているという21世紀の我々の状況こそ正に、"西部戦線異常なし"の原作のテーマそのものではないかと。気分が本当に沈む。
だからこそ、論理ではなく、視覚的に戦争そのものの暴力性を描くアプローチで本作をリメイク、描きなおした本作は2022年に公開する上では理に適ったアプローチであったと思う。
それが一本の完結した作品の出来としては議論の余地があるのは理解できるにせよ、鑑賞する時代性からまたこう言う作品に仕上がった背景は察せられるなと。

【2023/06/15 追記】

本作は、ルイスマイルストンのアメリカ映画「西部戦線異常なし」のリメイクなんじゃなくて、レマルクが原作にして、G.W.パブストのドイツ映画「西部戦線1918」の再映像化なんじゃなかろか。
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【戦争最後の日】

本作は最終版に最もグロテスクな命令が下されるわけですが、史実の第一次世界大戦の最後の1日の死傷者は一説に1万人を超えると言われます。
これは両軍ともできるだけ優位な位置を確保した状態で停戦を迎えることを意図して、最後の瞬間まで将軍達は戦うことをやめられなかったのです。
諸説ありますが、戦争終結60秒前に死亡したのはヘンリーガンサーというアメリカ人だったそうで、この日の朝にドイツ人だけで6000人程度が死亡したとされます。
史実のグロテスクさも悲惨極まりない。


【この映画に思うこと】

パウルは塹壕の闇から光に向かって歩き出します。

1930年版では蝶に手を伸ばし、1979年版では小鳥の囀りに顔を上げていたわけですが、
2022年版の本作では人肌のスカーフに彼の顔はきちんと画面に捉えられている。
過去二作品では、象徴性を帯びた記号としての兵士としてパウルが描かれたわけですが、人間としてのパウルを撮ろうとした作り手の意図に、しみじみと思いを馳せる次第です。



【参考文献】

「第一次世界大戦の歴史 大図鑑」創元社
「戦闘機大百科 第一次大戦・戦間期編」アルゴノート社
「French Army 1918: 1915 to Vichy」Histoire et Collections
「ドイツ軍攻防史」作品社
「第一次大戦と西アフリカ」刀水書房
「私家版戦車入門2 戦車の始まり ドイツ・フランス篇」大日本絵画

【参考メディア】
「黙示録:カラーで見るヴェルダンの戦い」ナショナルジオグラフィックス
「黙示録:カラーで見る第一次世界大戦」
ナショナルジオグラフィックス