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フェイブルマンズのDのレビュー・感想・評価

フェイブルマンズ(2022年製作の映画)
5.0
2023年 22本目

映画は、我々に様々な体験や感動を与えてくれる。人間の心や社会問題に対して考えさせてくれる。そして、美しいものを見せてくれる。しかし映画とは、素晴らしいものであるのと同時に、それを観た我々に対して強い攻撃性を持つ力があり、それはまた映画を作るものに対しても刃を向ける力がある。この映画では、映画の素晴らしさだけでなく、映画の持つそんな恐るべき力をまざまざと描くハイパー超絶大傑作である。以下に、どのような恐るべき力を提示してくれたのかを記していきたい。

①人生を変える力
冒頭、主人公のサミーは両親に映画館に連れて行ってもらい、強い衝撃を受ける。そしてその後の人生のほとんどを映画に費やすことになる。その人生はきらびやかで華やかなだけではまったくない。芸術にハマっていくことがどれだけの危険があるのか、物語の中盤に出てくる人物が明白に言語化する場面がある。その言葉には鬼気迫るものがあり、かくいう自分も映画にハマりすぎた人間として人生をムチャクチャにした自覚もあり、恐怖とショックで胸が張り裂けそうになった。

②真実を切り取る力
サミーは家族とのピクニックをホームドラマとして撮影する。和気あいあいとした、幸せたっぷりの映像が完成するはずだった。しかし、思いがけず決して映ってはならないものが映り込んでしまう。そして自らが撮った映像を見て恐れ慄き、酷く動揺することになる。カメラは現実世界を写し取る装置であるが、それは美しいものや面白いものだけではない。ときに残酷なリアルを映し出し、観たものに突きつける。しかも、今までは見過ごされていたような出来事が、映像となることでより一層強度を増す。

③真実を捻じ曲げる力
映ってはならないものを撮影してしまったサミーは、それを意図的に排除し、恣意的な編集によって観客に嘘をつく。映画中たびたび、ジョン・フォード監督作品の映画「リバティ・バランスを射った男」が登場し、この内容にも通じているが、映画(及びその他メディア)は真実を人々に伝える装置であるのと同時に、嘘をつくものである。これは事実を操作する大きな力を手にするということだ。大いなる力には大いなる責任が伴うことに、サミーは葛藤するのだ。

④空想を作り出す力
高校生活のラストを彩るプロムにて、サミーは卒業生たちが楽しそうに海辺で遊び回る姿を撮影し、上映する。幼少期から洗練されてきた持ち前の撮影技法・センスを用いて観客を魅了するのだが、またしても恣意的な編集によって、脚色されすぎた、輝きすぎたヒーローを作り出した。一見ただありのままを映し出しただけの映像に見えても、容易に、とくにサミー(スピルバーグ)の手にかかればいとも簡単に、明らかに事実より誇張された偶像を作り出すことができてしまう。

⑤人を狂気へ駆り立てる力
サミーの目の前で、サミーにとっても間違いなく悲しくて仕方がない出来事が起きたとき、サミーは「映像に残したい」と衝動に駆られる瞬間がある。自分はこれを観たときゾッと鳥肌が立った。当たり前のことだが、映像制作においては、眼前で起きる面白いこと、悲しいこと、すごいことに対してカメラを向ける必要がある。映画にのめり込めばのめり込むほどその代償は日常生活にも影響を及ぼしていく。

便宜的に分かりやすく5つの要素に分割したが、『フェイブルマンズ』では、それぞれが密接に絡み合いながらあらゆるかたちで映画の恐るべき力となって表出する。上記に上げた5つのうち1つでもしっかり描けていれば映画として最高なのだが、この映画ではそのすべてを観ていて苦痛に感じるほど、恐怖に感じるほどに突きつけてくる。スピルバーグ、、、恐るべし、、、。
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