ちゃんゆい

フェイブルマンズのちゃんゆいのレビュー・感想・評価

フェイブルマンズ(2022年製作の映画)
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【脚本】

映画は、ひとに夢を見させるものだ。
登場人物がいささか魅力的すぎるが、自分の家族や出会ってきたひとたちをキャラクターとして描くときに、フィクションの解釈を加える部分もあったと思う。
"過去の事実は変えられないが、解釈を変えることはできる"という言葉が世の中にはあるように、映画という一本の物語にしてしまうことで、自分の生い立ちを「すべての出来事には意味がある」物語にしたかったのかもしれない。

自分が生きている間に、かつていた周りの人たちを、自分の手で描いておく。
そうして、多分そこにあった「愛」を、確実にあったものとして再認識する。
多くの絵描きが、自身にとって、完成ではなく過程に質量があると感じるように、映画監督も制作の過程でその物語の真価を知る。
スピルバーグ監督は、脚本と撮影という過程の中で、自分が受けていた「愛」について気付きたかったのかもしれない。

『FABLEMANS』というタイトルの通り、幼少期のスピルバーグ本人よりは、家族とその周りのひとたちが主役の作品だった。
主人公が終始、純粋ないい子で、際立ったくせや特徴が印象に残らないのは、自身の内省よりは、家族の間の空気を描いていたからではないか。
彼らはよく笑い、泣き、話し、互いの愛を確かめる言葉をストレートに伝え合い、その人間味が鮮やかに描かれていた。


【映像表現】

自分の撮影の癖とも言える手法をふんだんに使って、セルフオマージュしていた。
スピルバーグ監督は、対象そのものではなく、対象に釘付けになっている人を撮る。

息子が製作した映画に夢中になる母、夏の思い出の映像に浸る卒業生たち。
その手法は結果として、観る者の「どんな映像を見てるんだろう」という想像力を刺激する。
それは童心を甦らせるスピルバーグ作品の特徴であり、魅力になっている。

小さい頃手持ちカメラで撮影していた名残か、自分の位置を変えず、カメラの首を左右に振るカットが多い。
ホームビデオや、初めてカメラを持った子供がやる動きと同じ。編集を知らない時代の名残か、関係性や前後関係を撮りたいという思いから、カメラの首を振るカットが多い。

モンタージュの多用。一つの技法を作った時代の監督という感じがする。そしてそれに誇りを持っているのが伝わってくる。