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フェイブルマンズのrakanのレビュー・感想・評価

フェイブルマンズ(2022年製作の映画)
4.5
大監督スピルバーグの少年時代をモチーフにした作品。想像以上の名作だった。

ニュージャージに住むユダヤ人一家の長男サミーは、両親とともに初鑑賞した映画に衝撃をうけて、8ミリカメラを片手に映画少年に育っていく。しかしエンジニアである父の転勤にともないアリゾナ、カルフォルニアと各地を転々とすることになる。一時は映画への興味を失うが、心に深く刻まれた情熱は再燃し、大学中退後にハリウッドに就職する。

あらすじだけを追えば、なんてことはなく少年が夢を叶えるまでのサクセスストーリーだと思うが、そこはスピルバーグ監督のストーリーテリングの妙で、長い時間でもまったく飽きさせずに最後まで観させる。

まず一つ一つのシーンが印象的に描き出されている。サミー少年が映画のシーンを再現させようと、汽車と車の電動模型でクラッシュさせる場面や、父に与えられた撮影機材を使いこなしていく様子、転勤がきまったときに母が急にでていって台風のなか車を走らせたり、学生たちで戦争映画を撮影していたらキャストの一人が役に入れ込みすぎて涙をながしながら歩いて行くシーンなどなど。

数え上げればキリがないのだが、じゃあそれらのシーンが物語のなかでどのようにつながっているのかは、多少の伏線があるにせよ判然としない。むしろバラバラな印象さえある。それなのに妙に思い入れたっぷりに時間をかけて写しだしている。

これらはスピルバーグ自身の思い出のなかで強く印象にのこっているワンシーンたちなのだろう。その刻まれた記憶をまるで思い出すかのように撮影しコマをつなぎあわせている。

スピルバーグが自分の記憶を、できるだけそのままのかたちで映画にしようとしたように感じられるのだ。

ときおり挟まるユダヤ教徒の習慣や、ユダヤ人としての葛藤は、スピルバーグにとっては大事な思い出であり、トラウマにもなっているのだろう。

自分の思い出をふりかえるときに似たような感覚を、この作品を観ながら感じた。ある意味、走馬灯のような映画ともいえるかもしれない。

またこの作品の大切な点は、少年の思い出が「リアリティ」をもって映し出されているところにある。主人公の一つひとつの行動の結果に、因果関係をつけすぎていない。

見方によっては淡々と物語が進行しているようにも見える。しかし少しずつ何かに影響を受けて、何かしら決意をしたり、諦めたり、傷ついたり、再起したりする。

スピルバーグのストーリーテーリングの秀逸さは、人生の微妙繊細な影響と変化と成長をリアリティをもって映像作品に昇華していることだ。

昨今の日本のドラマや映画の「伏線張って、回収してナンボでしょ」主義とはちがう。人間の感情は、嬉しければ笑う、悲しければ泣くといった単純なものではないはずだ。

淡白さとビターな味付けが、この物語に深みをもたらしている。しかもそれがちゃんとエンタメになっているというのがスピルバーグの真骨頂だ。

サミーは母の不倫相手となるベニーを拒絶するが、それでもベニーはサミーとの分かれのタイミングで餞別を贈るシーンがある。歳を重ねたスピルバーグがいまになって幼少期に面倒をみてくれたベニーおじさんへの感謝の思いと赦しの念を、映像にしたのかと思うと泣ける。
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