YasujiOshiba

その道の向こうにのYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

その道の向こうに(2022年製作の映画)
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林檎TV。23-11。ジェニファー・ローレンスだと思って予告編を見る。彼女が通りに立っているだけのショットがよい。良い映画の予感は的中。男と女とプールの掃除と、少しのビールと少しのハッパが登場するだけの映画。何も起こらない。ドラマはすでに起こった後。それでも人生は続く。

冒頭のショット。ピントが合っているのは背中を向けたリンジー/ジェニファーの頭だけ。かたわらに立つ男も、目の前で停車する車も、輪郭がつかめない。それが再び投げ込まれた世界だとわかるのは、車椅子に乗ったリンジーの姿が現れるとき。傍の男は軍人。大きな事故があったことは、体を動かせない日常カットの積み重ねが教えてくれる。ぼくらはその不自由な肉体に寄り添い、いつとも知れぬ回復の道程を共にすることになる。

原題の「Causeway」が意味するのはそういうことだ。それはルイジアナ州ポンチャートレイン湖にかかる橋の名前「ポンチャートレイン湖コーズウェイ(Lake Pontchartrain Causeway)」から取られたという。全長38.42km。この橋を行くドライバーは対岸の陸地を見ることができない。まるでどこまでも湖の上を走ってゆくような感覚に襲われ、ぞっとするらしい。

リンジー/ジェニファーがぞっとするのは、それだけではない。リハビリ施設から実家に帰ること。帰ってきたくなかった故郷、そして母のいる実家。だから、言うことを聞かない体に鞭をうち、兵役に復帰しようとするのだけれど、言うことをきかないのは古いシボレーのピックアップも同じ。

リンジーは修理工場で黒人の修理工ジェームズ(ブライアン・タイリー・ヘンリー)と知り合う。彼が足を引き摺るのは不幸な事故の痕跡。リンジーのほうも応対がしどろもどろ。様子もおかしい。まだ脳の損傷とPTSDのため発作が起こるのだ。

つまりこのふたり、それぞれ違った事故からだとしても、おたがいに目的地の影が見えない長い長いコーズウェイ橋を走っているというわけ。だからプールなんだよね。それは汚れたプールでもある。その掃除のシーンがよい。そのくらいということができないリンジー。少しずつ動けるようになり、最後にはプールを楽しめるまでになるのだけど、それはどこまでも自分のプールではないわけだ。

考えてみれば、ただふつうに生きることだって、コーズウェイ橋を行くようなもところがある。向こう岸が見えない橋を、どこまでどこまでも、ときにゾッとしながら、しっかりハンドルを握って、途中で故障しないように気をつけながら、ぼくらは進んでゆく。

もうひとつ、特筆すべきシーンがあった。リンジーが兄と面会するシーンだ。演じるのはラッセル・ハーバード。訳の上でもそうだけれど、彼自身は難聴であり、自分のことを「ろう者」と認識しているという。そんな彼とジェニファーのやりとりには、ほとんど落涙。その表現力の美しさ。いや、セリフもすばらしいのだけど、彼がそのセリフを手話で伝え、それをジェニファーが受けるとき、ぼくらはなにかコミュニケーションの奇跡を見ているような気持ちになるのだから。

ハーバードにとって手話は第一言語。彼のそれはネイティブの手話なのだ。そういえば、評判になった『ドライブ・マイ・カー』の手話のシーンも話題になったけれど、本物の手話はあんなものではないという批判もあった。ハーバードのセリフは本物の手話によるもの。ぼくは彼を『ファーゴ』で見ているはずなのだけど、よく覚えていない。他の演技も見てみたくなってきた。さしたり『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(2007)ぐらいがよいかな。

最後に、この映画、ジェニファー・ローレンスが創設したプロダクションが制作に噛んでいる。名前は Excellent Cadaver 。直訳すれば「高貴な亡骸」。どこから取ってきたのかは知らないけれど、イタリア映画を見てきた人ならすぐにフランチェスコ・ロージの『Cadaveri eccelenti(邦題:ローマに散る)』(1976)を思いだすのではないだろうか。 命名に関係があるのかないのか、調べがつかなかったけれど、なんだか気になる命名ではあるよね。

一緒に作っているA24のほうは、イタリア絡みの命名なので(創業者がイタリアの高速道路 L'Autostrada A24 を走っているときに設立を決めたかららしい)、もしかするとそのあたりからサジェスチョンだったのだろうか。 いずれにせよ、A24 と Excellent cadaver が良い映画をたくさん作ってれるとうれしいな。

参考: https://ja.wikipedia.org/wiki/A24_(企業)
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