Ryo爺

銀河英雄伝説 わが征くは星の大海 4KリマスターのRyo爺のレビュー・感想・評価

4.0
『銀河英雄伝説 我が征くは星の大海』4Kリマスターは、1988年2月に公開された同名劇場版アニメを、原作小説刊行40周年を記念して4Kリマスター版としてリバイバル公開した作品である。原作は田中芳樹の傑作SF小説『銀河英雄伝説』。監督は『宇宙戦艦ヤマト』シリーズなどで演出を担当した石黒昇。


今年最後の劇場公開作品として今作を選んだのは、単純に銀英伝の、田中芳樹のファンであるからです。
僕の政治思想の根幹は、銀英伝で出来ていると言っても過言ではなく、冗談抜きで義務教育で銀英伝を子供たちに読ませるべきと本気で考えております。読めばフラットに政治を見る目まで身に付くこの作品、そして何より面白い!キャラクターが魅力的!名台詞の雨あられ!読んで損することは一切ありません!!
とまあ個人的な願望はさておき、銀英伝をスクリーンで観るのは初めて。旧アニメのイメージを壊したくなくて、現在の『銀河英雄伝説 Die Neue These』シリーズは観ておりません。
ではいってみましょう。


<冒頭のあらすじ>
遥か未来、宇宙空間では専制政治を敷く銀河帝国と民主主義を掲げる自由惑星同盟が長きにわたる戦争を続けていた。宇宙暦795年。イゼルローン要塞を目指す艦隊の中に、帝国軍の若き大将ラインハルト(声:堀川りょう)とその副官キルヒアイス(声:広中雅志)の姿があった。要塞に接近する同盟軍艦隊を迎撃せよとの指令を受け、ガス状惑星レグニツァに向かうラインハルト艦隊。レーダーも一切効かない特異な環境でラインハルト艦隊は、同盟軍艦隊と遭遇。ラインハルトはその環境を最大限に利用する策を講じる。しかしその策を同盟軍の准将ヤン・ウェンリー(声:冨山敬)は察知し上申するも、上官がその警告に耳を傾けることは無かった、、。



<並び立つ両雄の邂逅>

片や専制政治を敷く銀河帝国に身を置くラインハルト・フォン・ミューゼル(後のローエングラム)大将。片や民主主義を戴く自由惑星同盟に身を置く‟エル・ファシルの英雄”ヤン・ウェンリー准将。

こと軍事的戦いという側面に焦点を当てるのなら、並び立つのはこの両名である。今作ではラインハルトの旗艦であるブリュンヒルトの初陣であり、宇宙暦795年/帝国暦486年9月に勃発した惑星レグニッツァ上空の遭遇戦と第4次ティアマト会戦が描かれる。ひいてはこの両名が初めて軍事的に対面した、のちに全銀河を巻き込むこととなる大いなる戦いのプロローグである。

戦いにおいては、既にして両名の優れた軍事的手腕の片鱗が垣間見える。そしてその若さと名声故に上官から軽んじられ嫌われるのも、この時点での両名のもどかしい共通点だ。

視点はラインハルトとヤン周りは言わずもがな、戦闘艇のパイロットたち、名もない一兵卒の砲手たちにもスポットを当てることで、戦争というもののミクロな面、そして簡略化された艦隊配置図により映し出される戦場全体のマクロな面、両面から描くことに成功している。

4Kリマスターの恩恵は陰影が濃くなったかな程度のものだったが、戦闘時に流れるオーケストラ演奏によるクラシック“ボレロ”がスクリーンの立体音響によって、本来血なまぐさい戦争行為をスペースオペラと呼ぶに相応しい、壮大かつ荘厳なものに印象を変えている。両名の戦いの幕開けを感じさせるには充分な演出と言えるだろう。(しかしこの戦闘で出した犠牲は同名側で200万人以上。戦争というのはフィクションとは言え誠に度し難い)


<総評>
60分という尺でしたが、戦争面において並び立つ2人のプロローグとしては申し分ない出来でした。
しかし『銀河英雄伝説』という物語の真骨頂は軍事的衝突ではなく、イデオロギーの対比であると僕は解釈しています。

専制政治と民主政治。
この2つの異なる政治形態の対立を描く中で、専制政治も民主政治もあくまで政治の1形態に過ぎず、どちらが善でも悪でもないことを浮き彫りにしていきます。つまり現在民主政治の中に身を置く我々日本国民は、民主政治こそ善であり正しい政治形態だと思いがちなところに、この作品は疑問符を投げかけるのです。

ちょっとレビューからは外れた論になりましたが、この物語がこれを機会に多くの人々の目に触れ、原作を読んで頂くことに繋がることを願ってやみません。


P.S.今年はこれが最後のレビューとなります。
今年、たくさんのいいね👍、そしてコメントのやり取りをして頂いた全てのフィル友さんたちに感謝を述べたいと思います。

ありがとうございました。🙇

そして来年もよろしくお願い申し上げます。🐇
Ryo爺

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