くまちゃん

ルパン三世 VS キャッツ・アイのくまちゃんのネタバレレビュー・内容・結末

4.2

このレビューはネタバレを含みます

ルパン三世は国籍、年齢、性別さえも不明。その性質は無色透明。目には見えるが実態の掴めぬ水のような存在。
その特異性を反映するかのように描く作家によって何色にも染まる。そこに違和感はない。観客はこれがルパンだと無意識に無条件に受け入れてしまう。

北条司の創造力は目を瞠るものがある。
平成終わりに「シティーハンター」が、
令和に「キャッツ・アイ」が再び映像化されるのだから。
どちらも今の時代に合った作品とは言い難い。冴羽獠の軟派癖やキャッツ・アイのレオタードなどは時代錯誤も甚だしい。フェミニズムやハラスメントでの炎上案件。それでも、時代に逆行してまでも画面に現れるのはキャラクターのもつ色気と妖艶さ故か。

舞台は1981年。幾度となく時代を更新してきたルパンには珍しい時代設定はキャッツ・アイに寄せたものだろうか。
来生三姉妹の父、ドイツ人画家ミケール・ハインツは世界中の美術シンジケートから狙われており公式の記録では大戦中に死亡したことになっている。
身内に害が及ばないようにするためだ。
現代が舞台では設定を根本的に変更しなければならなくなる。
レオタードに似たコスチュームも現代では違和感が強くなってしまうだろう。
もっとも今作ではより戦闘服に近いデザインに更新されていたが。
ルパンのジャケットがピンクなのは今作のプロデューサー石山桂一曰く山崎貴監督のフルCG映画「ルパン三世THE FIRST」と重なってしまうからだそうだ。
この判断は正しい。1984年放送の「ルパン三世PART3」ではジャケットのカラーリングはピンクであるため時代とキャラクターの親和性が非常に強い。
また「ルパン三世PART3」のコンセプトは原点回帰。原作へ立ち返り、TV第2シリーズを基礎にハード面を取り入れる。
その潮流は今作にも大いに見られ、ポップかつカジュアル、スタイリッシュでハードボイルド。

今作ではルパン三世のハード面、キャッツ・アイのソフト面、双方の世界観が絶妙にマッチしたクロスオーバーの成功例と言える。

北条司曰く、キャッツ・アイは普通の女性であるためトンデモアクションはしないらしい。
それでも凝ったガジェットを駆使し、柔軟かつスマートなアクションが多めなのはルパンサイドに擦り合わせたからだろう。

監督を勤めたのは静野孔文と瀬下寛之。
「シドニアの騎士」「GODZILLA」と良質なCGアニメを制作するゴールデンコンビ。
予告段階ではCGであることに加え、大幅なキャラクターデザインの変更が明かされ、ファンは不安になっただろう。
だが、それは杞憂である。
今作は作品への愛に満ちている。
ルパンの語り過ぎない美学、来生姉妹の今時女子感、荒唐無稽アクション、三女愛とルパン、長女泪と次元、次女瞳と五エ門、それぞれがペアである必然性、俊夫の投げ手錠、カーチェイスとともにかかる「デンジャラスゾーン」。

ルパンとキャッツ・アイのパブリックイメージそのままに一つの丼にまとめ上げた謂わば親子丼。
北条司はモンキー・パンチをリスペクトしている。

さらにルパン三世の長い歴史の中で多用されている設定の多くが削がれている。
例えばルパンの祖父が盗めなかった宝、次元の傭兵時代の昔馴染み、斬鉄剣で切れない特殊な物質、襲撃された際の擬死、五エ門の淡い恋、不二子のあからさまな裏切りからの人質等々。
これらのテンプレなしで構築したのは監督脚本の手腕にほかならない。

「名探偵コナンvsルパン三世」は探偵と泥棒という対極関係にあり、価値観や存在自体が異なるため、「VS」としての構造、共犯関係にあっても相反することでキャラクターの整合性とバランスが取れていた。
今作では設定上活動範囲が限定的なキャッツ・アイと、世界を股にかけるルパン一味をある種の師弟関係に近い描き方をすることで破綻を回避している。

アマチュアとプロフェッショナル。

来生三姉妹の一般的な女性像という性格と、コスチュームに身を包んだ怪盗という上品さが彼女たちのコスプレ感、アマチュア感を際立たせている。
また数多の修羅場をくぐり抜けてきたルパン三世とその一味。味わった地獄の数だけ大人の余裕と色香と軽妙洒脱な隙の無さに表出し、ニヒルなハードボイルドへと転嫁する。
今作の敵役武器商人のデニスと画商ベルガー。2人の容赦のない拷問と無慈悲に発砲する冷酷非道な残虐性がルパンとキャッツ・アイの明確な差を顕著に増大させることに役立っている。
銭形と俊夫の師弟関係もまた同様である。

全体的にルパンサイドが主導する形となるが、作品の規模とキャリアを考慮すると致し方がないだろう。

舞台の一つが貨物列車だからだろうか。
CGとの組み合わせかもしれないがPS2用ソフト「ルパン三世魔術王の遺産」を彷彿とさせる。

愛を抱きかかえ川底へのダイブ、愛に救われるルパン。「カリオストロの城」へのオマージュと思われる。愛は姉妹の中で唯一父を知らずに育ったため「父性」への憧れが人一倍強い。つまりただのオマージュではなく「キャッツ・アイ」を理解し馴染みやすくする乳化剤的なオマージュと言える。

クライマックス、少年漫画的な情をかけるデニスに対し「都合が良すぎる」と拒絶するルパン。
激昂し銃口をルパンへ向けるデニス。
ルパンの後ろから次元と五エ門が現れる。ルパンは複数の銃弾を受け、次元は戦闘による負傷、五エ門に至ってはわかりやすく斬鉄剣が折れている。それも戦闘中刃こぼれ描写あるあたり細かく丁寧。
珍しく血まみれな三人。
明らかに虫の息。それでいて無傷のデニスを退かせる圧倒的修羅の覇気。
さらに条件を突きつける不敵さ。
「キャッツ・アイには手を出すな」
去り際、背中越しに低い声で吐き出す。
「もし手をだせば、次は殺す」
原作に近い冷徹さ。
ものまねではない、栗田貫一の凄み。
不思議なものだ。
キャラクターを自分のものにすればするほど山田康雄に似てくる。
今作では山田イーストウッド味が強い。

キャッツ・アイのキャスト陣はそれなりの年齢を感じさせるものがある。
戸田恵子は変わらず若々しかったが、深見梨加はまだキャラクターを掴みきれていない手探りな雰囲気があった。
坂本千夏は還暦超えでの高校生は老化に伴う音域の低下で難しいように感じる。
安原義人も同様だろう。ゲイリー・オールドマン等壮年のいぶし銀を担当する安原に20代前半のヘタレ刑事は中々難しい。それが40年という月日を如実に表している。

女性キャラが多く登場するのにルパンの軟派な部分が皆無なのも稀有である。
不二子との関係性はカリオストロの城に近く、来生三姉妹は恩人の娘と割り切っている。
ダーティでドライ。だからこそ彼等はかっこいい。

ミケール・ハインツをロマンティストと評するルパン。
「ルパン三世」は元来自由と娯楽、男のロマンを追求するドラマである。
即物的な不二子と対象的にルパンも次元も五エ門もロマンティストである。
ルパンとミケールが惹かれ合うのは必然だろう。

ファンサービスと言われればそれまでだが、今作は観客を大いに楽しませることのできる作品である。ただ、個人的にはせっかくのクロスオーバーなら「キャッツ・アイ」ではなく「シティーハンター」が見たかった。
いや、まだ期待はできるだろう。
石山桂一には是非そちらの方もお願いしたい。
くまちゃん

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