近藤啓二

2300年未来への旅の近藤啓二のネタバレレビュー・内容・結末

2300年未来への旅(1976年製作の映画)
3.7

このレビューはネタバレを含みます

物語はほぼ定型があり、売れる作品はだいたい神話がベースになっているという。
建国200年くらいの歴史しかないアメリカには神話がない。
スターウォーズが熱狂的に支持されたのは、それが彼らの神話に成りえたからだった。

この「2300年未来の旅」は「行って帰ってくる」系物語である。
主人公が旅に出て、試練を乗り越え成長を遂げてまた元の世界に戻ってくるというものだ。
「マッドマックス/フューリーロード」「指輪物語」などがそうだ。

若さだけが尊ばれ30歳を迎えると、自動的に死の儀式に参加しなくてはならない刹那的なディストピアから主人公たちは逃亡する。
あまりじっくりと、その高低差、移動シーンに時間が割かれていないのが惜しいのだが、このディストピアが地下世界だというのが実はとても重要な要素だ。
キリスト教文化圏では地の底、地下世界とは地獄である。

主人公たちが地表に出て、そして崩壊した街へとたどり着く。
そこはワシントンDCで、彼らがリンカーン像を観るのは「猿の惑星」の影響だろうか。
ここは少しご愛敬だった。

滅びかけたかつての文明。
そこの図書館らしき廃墟で、ネコと暮らす老人に出会う。
生命は父と母によって生まれ、そして若さは年老いていく未来がある。
この老人が偏屈で頑固ではなく、子供のようによく笑う無邪気なキャラクターというところがとてもいい。
歳をとるというのは説教くさくなることではなく、楽しく豊かなものだという意図が自然に伝わるような演出だ。

元の地下世界に戻った主人公たちはディストピアを破壊して、若者たちが地上へと出てくるところで物語は終わる。
目に鮮やかなCGはなく、地下の文明社会もミニチュアが頑張っている。
タイトルの元ネタ「2100年宇宙の旅」のようにSFとして研ぎ澄まされたナイフのような鋭さはなく、今の若い人にはチープに見えるだろう。「2300年未来の旅」などという安直すぎる邦題には足を引っ張られている感もあるが、手堅くしっかりと創られた秀作だ。
かつて映画製作には関わる人たちの創意工夫、情熱がはっきりと画面に残されるものだった。
いまのCGだらけの映像とこの地下世界の虚ろさを重ねてみると、映画の豊かさがどういうものか、少しわかってもらえるのじゃないか、廃墟の老人になりつつあるものとしてはそう願う。

原題は「ローガンの逃亡」。
神話の一遍としてとても楽しめる作品だ。
近藤啓二

近藤啓二