陽

aftersun/アフターサンの陽のレビュー・感想・評価

aftersun/アフターサン(2022年製作の映画)
4.3
カメラワークが本当に素晴らしかったです。

音楽も総じて、とても、
特にQueenとDavid BowieのUnder Pressureが流れるタイミング、そのシーンが良かったです。
帰り道、聴きながら歩きました。

映画オリジナルの曲も、音数が少なくシンプルで、
ソフィに残されたビデオテープと、彼女の記憶がもう濁らぬ様に、ただそっと寄り添う様に響きました。

ひとつひとつ、本当に丁寧に紡がれた作品でした。


✴︎


ソフィとほぼ同時期の頃、
私は6歳の時に生みの父と別れました。

余談ですが、「生みの父」という呼称は、
父と別れた2年後、
8歳の頃に登場し、私の大学卒業時までその役割を果たしてくれた、「育ての父」とを分けるために、私がそう呼ぶ様になったことがはじまりにあります。

「まるで父親が産んだみたいだね」と、人に笑われるまで、そのおかしさに全く気がつきませんでした。
ただ、手前味噌ですが、気に入っているので、母との間では彼らのことをその様に呼んでいます。

ソフィと同じく、「生みの父」を最後に見たのは夏で、私の生まれ月でした。

ビデオテープも写真もなく、また別れるに至る理由、最後に起きた事から、会うこともできなかったために、記憶が私の「生みの父」の姿であり、そのすべてです。

『Aftersun』を鑑賞して、記憶の面白さ、興味深さについても、あらためて想うものがありました。
ちょうど千早茜さんの『神様の暇つぶし』を読了したばかりだったため、より一層感じています。

時が経つほどにあやふやになっていく、
タイムリープすることができないから、確かめる術もない。

忘れることは確かに救いや癒しに成るけれど、必ずしもそうとは限らない。

もう一度会えるなら、あるいは、もう一度あの瞬間に戻れるのなら、私は彼の最後の言葉と表情を知りたいと思ってきました。

カラムの姿や、要所要所から、ままならなさ、彼のかなしみも、想像や伝わってくるものがありました。
カラムの最後のシーン、その背中が印象に残っています。

20年後、ビデオテープを見つめるソフィは、
もしくは彼があの時購入したトルコ絨毯に足を下ろすたび、
そこに少なくとも彼の愛を確かに認めることが、
そして、そこから聴こえてくる声は、巻き戻して見返す度にきっと増えていく、
あるいは一貫してある響きは、それゆえに一層強く、彼女のもとに伝わるはずです。

父が最も伝えたかったことは、ちゃんと娘に伝わって、その心に届き、
いま母と成り、また新たなライフステージを歩んでいく彼女のこれから、
あるいは生涯、ソフィの支えとなって、彼女の中でずっと息づく、

彼女の中で生きて、彼女が呼んだ時には傍に来て、話をしてくれる、そして励まし、守ってくれている、

そんな風に想像しました。
陽