ヤス

aftersun/アフターサンのヤスのネタバレレビュー・内容・結末

aftersun/アフターサン(2022年製作の映画)
4.4

このレビューはネタバレを含みます

今になってわかる、私は君と分かり合うことができていなかったのだと。

同性愛なんていうものは11歳の私にはわからないものであった。(これはこの映画においてもっと大きな部分でありながら比喩に過ぎなかったと思う。)ただ数字としての大人に憧れて決断し続けていたけれど(自分を理解するところまで至らなかった)子供を持つ身になって改めて見ると、フィルムビデオに映る2人の姿はただ一つの側面でしかなかった。鏡やテレビに映る姿が多かったのもその隠喩だろう。

父親にはまた、大人でありながら、大人になりきれない視点がある。不安定な事業を続ける姿、父親として、子供を育てることのできない社会的な立場との葛藤。(彼はゲイであったと私は認識している。)ソフィのことをとても愛しているのに、一般的な価値観として男性を愛し拒否される現実について、自己否定に陥って彼は恐らく自死する。ソフィがレズビアンながら子供を持つのもアイロニー的である。

新たに思うところがあれば追加していく、とにかく自分に刺さった。苦しい思いやその中の爆発的な感情。泥を塗り合う時に逆転した立場や父親のダンスを共に踊る瞬間がきっと、2人をせめてもに繋ぐ橋になっていたのだと思う。たとえ死を選んだとしても。

インタビューを読むと少し違っていた。物語は基本的に大人のソフィの視点であるため、父の姿は遠くからや背後から、遮蔽物越しなどで描かれており全体を見ることができないのだと。それだとストロボのシーンはその象徴で父の姿をわずかながら想像し、最後は少し明確に見えるようになったのか。

2回目を観て
父が鏡やテレビに自分自身が写っている時にネガティブな気持ちが芽生えていることがわかった。本当の自分との乖離、彼を苦しめている要因が明示されていたと感じる。
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