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aftersun/アフターサンのumisodachiのレビュー・感想・評価

aftersun/アフターサン(2022年製作の映画)
5.0


新星シャーロット・ウェルズ監督の長編デビュー作。

11歳のソフィは、離れて暮らす31歳の父親カラムと一緒にトルコのリゾートホテルでひと夏を過ごした。父親と同じ年になったソフィが、当時のビデオカメラの映像と共に父との思い出を回想する。

すごい。すごい映画だった。

スクリーンに映し出されるのは、ほとんどが「単なる父と娘の旅行映像」だ。他愛のないやりとりだったり、風景だったり。そこに、ソフィ自身の中に残っている記憶と、大人になったソフィが想像する父の姿が混然と混じりあっていく。

少し古ぼけたリゾート地。トルコなのにいるのはおそらくイギリス人ばかり。時代を感じるやや安っぽいロビーで手続きを待っている間、ソフィはテーブルに置いてある『ロリータ』をそっと開く。ツインの部屋を予約したはずなのに、通されたのはダブルの部屋。カラムはクレームの電話をするが、どうやら押し切られてしまっている。ちょっと頼りない。

小さい子たちと遊んできなよと言われたソフィは気乗りしない様子。その代わり、ティーンエイジャーたちと楽しそうにビリヤードをする。カラムは太極拳をやっているようで、ときどき妙な動きをしている。

ひとつひとつは何てことないシーンだし、どこにでもあるようなことばかり。でも、映像の隅々まで計算されたヒントのかけらが、彼らの20年前を形作っていく。子どもから大人に変わっていく狭間の少女(ソフィ)、大人というには頼りなく、太極拳で必死で自分を落ち着かせるカラム。ふたりは互いを心から愛している親子で、ふたりでいるときはまるで親友みたいに楽しそうだけれど、たまに波長が合わなくなることもある(他のありふれた親子同じように)。

そして、31歳のソフィの様子と、ときおり差し挟まれるクラブの映像。数少ないそれらの要素から、観客はカラムの身に起きたその後を想像し、やがて確信する。パパとの恒例の夏の旅行は、決定的な思い出になった。あのときにはわからなかったことが、今ならばわかりそうな気がする。画面の中の記憶の断片をつなぎ合わせて、31歳の父親を必死で拾い上げようとするソフィの中で止まっていた時間を想うと、切なくて切なくて涙が出てきた。

徹底的に説明を排した構成は、観客を信頼している証拠だろう。一方で、2つの楽曲を驚くほどストレートに使用しているのが潔い。どんな過程で育ってきたか、どんな親子関係を築いてきたか、どんなパーソナリティを有しているかで受け取り方は変わるだろうが、人によってはモロにくらって抜け出せなくなる劇薬のような映画でもあると思う。

私は自分自身とはかなり距離を置いて鑑賞できたとはいえ、ソフィと同じ年の息子を持つ母親としてカラムに自分を重ねる要素がないわけではなかった。作中でカラムは決定的に子どもじみた言動をとるのだが、ソフィはさほど気にせずそれすら楽しんでいる節があるのに対して、どれだけカラムがそのことを悔いて苦しんだだろうと想像すると胸が締め付けられた。(ソフィもまた、父親と同じ年になってそのときの父親の苦しみに思い至るわけだけれど)

子どものころは、大人は自然と「立派になる」のだと信じて疑っていなかった。正しい判断をし、いつでも頼れる存在。でも、親になった今はわかる。大人になったって立派になんてならない。子どもにイライラをぶつけて、不用意に子どもを傷つけて酷く後悔するなんてしょっちゅうだ。だから、ソフィが「パパお金ないじゃん」と言った言葉にムカついて傷ついた気持ちもわかるし、旅の終わりの「もっとここにいたい」という言葉が、どれだけカラムの救いになったかもわかる。

これほどまでに「かけがえのない思い出」を見事に表現した芸術が今までにあっただろうか?また、「(日焼け止めを)身体に塗ってあげる」という行動の主体が前半と後半で入れ替わっていたり、オールインクルーシブタグの引き渡しを有効に使ったりと、「ただの思い出」の中に細かく細かく表現上のテクニックを入れ込んでいる技量も見事。映画史の新しいチャプターが始まったことを感じさせる傑作。
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