これ、みんなわかったの??
私はわからなくて、エンドロール後も呆然としていました。
評判も良くて、すごく泣けるときいて劇場に行ったのに‥!なんの説明も明示もなく終了して困惑していました。なんだ、ハズレかなって思って帰ったのですが、帰り道も家に帰っても物凄くあとを引いて、ずっとこの映画について考えてしまっています。
この映画、ハズレなんかじゃなくて凄い映画だったのかもしれない。いや、少なくともハズレではないし、良い映画であるのは間違いない。
自分の中で視聴後に評価が爆上がりになっています。こんな、後からジワジワとくる映画はなかなかないです。
たぶん、もう一度観ると号泣かもしれません。
もちろん、パンフレットは購入しました。大島依提亜さんの超最高デザインのパンフレットです。中身はまだみてませんが、もう表紙だけで、というか大島依提亜デザインというだけでマストバイです。
この映画は考察サイトもパンフレットもみず自分なりに考えてみたいです。
あとから、調べたら明後日な方向の考察かも知れませんが、したためておこうかな。
以下ネタバレあり
この作品で一番のポイントは全編を通して、31歳の誕生日を迎えたソフィ目線であるということです。
時系列がバラバラであったり、抽象的な映像が挿入されるのは31歳のソフィがホームビデオを観たことに、起因して思い出したり、想像したりしているからです。なので、変に反射越しであったり、カメラが別の主体を写していなかったり、しているのでしょう。子供の頃の記憶って、木の模様とか影の形とか変に覚えていたりするものです。
テープの巻き戻しの音もあり、巻き戻して父親の真意を探ろうとしていたのではないでしょうか。
なので時系列は31歳が思い出している順番としては正しい流れなのです。これが最後にわかるので混乱を招くのでしょう。
①ホームビデオ、②ソフィの記憶、③ソフィの想像で構成されていて、ホームビデオ以外は真実とは限りません。想像はもちろんですが記憶も誤っていることも多くありますよね。そこが大きなポイントです。
【父親はどうなったのか】
ずっと気になるところとしては現代の父親の安否です。これも明確には示されておらず想像する他ありません。
本編の父親のみのシーンはソフィが知ることはずのないシーンですので31歳のソフィの想像です。31歳のソフィは父親がその後どうなったのか知っているのでこの想像のシーンは手がかりとなるでしょう。
想像の父親はバルコニーの手すりに立っていたり、夜の海に入水したりしています。
また、記憶の父親は「30歳まで生きると思わなかった、40歳まで生きるとは思えない。」と語ったり、"死"を連想させます。
現代のシーンをみるに生死はわかりませんが、ソフィのそばには父親がいないことは明らかでしょう。
少なくとも父親は娘に写真と手紙を残したり、護身術を身に着けさせたり、ギプスを外し娘に触れられるようにしたり、言葉を残したり、このトルコ旅行が最後になることを見越していますので、自殺であれ病死であれ長く生きることはなかったのではないでしょうか。
ソフィとのセリフの中にクレオパトラは自殺したという話もあるので、自殺をした説が強いかもしれません。
自殺としたらなぜ自殺したのか。
本編を通して意図的に性愛を匂わせるシーンが多いです。若者たちのハグやキス。中でも同性愛のシーンが印象的でした。
もしかしたら、父親もセクシャルマイノリティで悩んでいたのかもしれません。示唆するようなシーンもありましたね。当時はまだ白い目で見られることも多かったはずです。
31歳のソフィも子供をもつ同性愛者であるように描かれています。同じ立場、年齢になって父に思いを馳せるというのも不自然ではないように思います。
まぁ、明示もないので本当は全くの見当外れで本当は父も元気で隣の部屋から顔を出すのかもしれません。本当のことなんて、クラブで31歳のソフィと31歳の父親が触れ合うストロボのシーンのように当人ですら断片的にしかわからないのでしょう。
【楽曲】
いくつか楽曲が使われていますが、印象に残っているのは父親が歌わなかったカラオケのR.E.Mの『Losing My Religion』とトルコ最終日のダンスでつかわれたフレディマーキュリーとデビットボウイの『Under Pressure』です。
『Losing My Religion』を何故歌わなかったのか。父親が大好きな曲でかつては定番だった曲のようです。そんな曲を一人きりで歌う姿はなんだか居た堪れなかったです。
歌わなかった理由もまた描かれません。心的にその歌を歌うことが彼にはできなかったのでしょう。歌詞の内容か、好きだったシチュエーションがもう届かないのかもしれませんね。
『Under Pressure』はエイズで死去したセクシャルマイノリティでもあるフレディと癌で死去したデビットボウイの楽曲です。
これは歌詞を観たらこの映画とリンクしていてめちゃくちゃわかりやすい。
多分二回目をみたらここで泣きます。
「11歳の頃に30歳の自分が何をしていると思ってた?」
11歳にとって30歳なんて遠い未来ですが、30歳なんてあっという間です。
多くの大人は11歳の頃に思い描いていた姿にはなれていないでしょう。
キラキラとした子供の疑問は理想になれなかった自分を強調します。
カラムは11歳の頃、誕生日を忘れられていました。故郷も離れ、故郷ではないと話しています。おそらく子供の頃は良い思い出ではないのでしょう。
死もしくはそれに近いような娘との別れを予期しているカラムにとっては無垢で残酷な質問に聞こえたのかもしれませんね。
自分も11歳の頃に夢想した大人になれていないです。11歳の頃の夢はもう今からは叶わないでしょう。むしろどんな夢だったのかすら思い出せないまでもあります。
本作は記憶や想像をそのまま映画していて実験的ながらもひと夏の思い出をエモーショナルに仕上がっています。
観て考える映画としてとても良かったです。