夏の日差しが作る逆光に、父の想いを探す。
ビデオカメラが写すのは思い出の一部である。あくまで記憶を補完し、後になって思い返すための道具にすぎない。
細かな心理描写や伝えられる言葉は、何気ない会話や人物単体のシーンで描かれ、おそらく大人になった少女の記憶には殆ど残っていないだろう。
この映画には、そんな過去という概念への共感を覚えた。
娘の視点では、明るく生気にあふれた青春が描かれる。
リゾート地で年上の男女と出会い、仲を深めた男子とキスをし、新しい経験を重ねる。
だが、反対に父には自殺念慮と思われる描写が重なる。
未来へ希望溢れる振る舞いをする娘の存在が、むしろその願望を助長させているようにも見える。
大人になりたい娘と、未来への希望を持たない父。
親子でありながら、そのギャップを生々しく映していた。
成長した娘は、そんな過去をどう受け止めれば良いのだろうか。
この映画では夏の数日間の出来事以外ほとんど描かれない。
その空白の部分にある不安と苦悩が、観客の心に重なる。
おそらく、最後に娘を見送り、ビデオカメラを閉じた父は命を絶ったのだろう。
だが、そんな苦悩を抱えながら娘の前ではその様子を見せない、そんな姿に娘への愛を感じた。
再生されたビデオにすら、彼の苦しむ姿は映っていない。
美しい思い出として、いつまでもソフィを捕え続けるのだ。